城東教会の底力

 今日の礼拝の説教者は、I兄が担当してくださいました。その理由は、牧師の寺島謙先生が体調不良となり、急遽、I兄が説教の代役者となったわけです。I兄も大役を引き受けられた後、体調が悪くなられたそうですが、今日の礼拝では、見事に「イエス・キリストの系図」という説教題で興味深いみ言葉の取り次ぎをしてくださいました。

 マタイによる福音書の1章には、14代にわたる人々の名前が3組も出てきます。この系図を知ることに何の意味があるのだろうかということは、私自身も不思議でした。しかし、その中にエジプトに売り飛ばされたが後に宰相となったヨセフの名前は出てこないで、売り飛ばした側のユダの名前が出ている。また、4人の女性の名前が出てくるが、その中には、社会的に認められないような行いをしてしまった人物もいる。イエスさまは、そういう人たちの末裔であるということを正直に記しているというお話でした。しかし、イエスさまは、忌み嫌われる人たちの友となり、救いの御手を幾度ものばされていることは、聖書が証明しています。聖書に示された罪のない神の御子が人間となってくださり、罪にまみれた人間を贖ってくださっている。その真実を示しているのが、イエス・キリストの系図のようです。わたしには、まだまだ理解が足りませんが、とても興味深いお話であったことを記しておきます。

 今日の礼拝は、牧師先生の不在という緊急の事態での中で行われましたが、礼拝を守り通すことができたのは、I兄をはじめ、細かく連携を取りながら司会を担当されたI姉、奏楽を急遽担当してくださったO姉など、城東教会を支える人たちの底力の賜物でした。そして、それを見守り、支えてくださったのは、神さまの御業です。今日の説教者のI兄は、説教の最後で次のように締めくくられました。「自らなしえることを忍耐をもって行いたい。信仰を大切にして、日々の歩みを続けたい。」自らのお姿を通して私たちに示してくださいました。しっかりと心に刻んでおきたいと思います。