創世記12章1~8節
イエスさまは、山上の垂訓の中で、「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。・・・」と語られました。その時、イエスさまは、アブラハムのことも想像し、そのことも言いたかったのではないかと私は感じました。
アブラムは故郷ウルを出た時、その町は偶像礼拝が盛んで、偶像礼拝をすることによって盛り上がろうとしているところがありました。当時アブラムの父テラもこれでいいのだろうかと感じていました。アブラムは、みんなの前でこれは偶像礼拝ではないかと主張しました。すると賛成する人も一部いましたが、腹を立てる人もいました。偶像を通して利益を得ていた人たちでした。そうして、とうとうアブラムの家族、テラ、甥のロトは、ウルの町を旅立つことにしました。
ユーフラテス川を遡りながら、およそ800キロメートルを歩み、ハランにつきました。アブラムの一族は信仰の闘いの中にあったのです。父のテラは、205歳で亡くなりました。すると主なる神さまより「ハランの町を出ていきなさい。そして私の見せようとしている地に行きなさい。」という召命があり、アブラム一族は、南下して今度はカナンの地にたどり着き、天幕をはってそこに住むことになりました。アブラムはその時75歳と言われています。
アブラムは後にアブラハムと呼ばれるようになりましたが、高齢になっていようといなくとも、神さまの声に聞き従うことのすばらしさを知っていた人でありました。アブラハムはこの世のものは一切欲しがることがありませんでした。神さまの声に聞き従うことのみを大切に生きた人でした。それでアブラハムは後世になり、信仰の父と呼ばれています。