CSの礼拝説教
今日のCS礼拝の説教は、つい先日まで役員で書記を務めていらっしゃったI先生が担当してくださいました。I先生は、当教会の長老のお一人であり、毎年礼拝においても説教を担当してくださっています。たいへんな読書家で、その視点の面白さや視野の広さは、私たち後輩にいつも刺激を与え続けてくださっている方です。
今日の説教は、「主イエス、漁師を弟子にする」という題で、シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人が、イエスさまに声を掛けられて、家族も仕事も捨ててついていったことの不思議について語ってくださいました。「オーラ(気)」がイエスさまのまなざしを通して彼らに乗り移り、本物の御子であるということを悟ったのではないか、そのような内容のお話でした。(詳しくは、「教会学校(CS)説教」のコーナーをご覧ください)
私たちも、弟子たちと同じように、イエスさまのまなざしにとらえられた者であるに違いありません。家族や仕事を捨てているわけではありませんが、イエスさまにとらえられたことで、捨て去っているものもあるはずです。しかし、私たちが教会に通い続けているのは、イエスさまにとらえられることによって、召されるといった方がいいでしょう、罪赦された者として生きることができるからに違いありません。
私などよりもはるかに長く教会に関わり、信仰を深められているI先生です。社会的にも立派な経歴をお持ちの先生です。I先生が最後に仰った言葉「神さまの恵みによって召された者の集まりが教会です。神さまの召しに応えるものでありたいと思います。」その言葉を謙遜に受け止め、自分も誠実に自分に与えられた道を歩み続けていきたい、そう感じた今日のCSの説教でした。