棕櫚の主日礼拝

 今朝はあいにくの雨でしたが、受難週の始まりである今日、たくさんの信徒が教会に集い、棕櫚の日の礼拝を守ることができました。

 この日が棕櫚の日の礼拝と呼ばれるのは、イエスさまがエルサレムに入場されたときに、群衆が棕櫚の葉をその道に敷いて、歓迎したことに由来しているそうです。ところが、イエスさまは今までの王が入場した時とは違った様子でエルサレムに入場されました。今までの王は、強さを象徴するような立派な馬に乗って颯爽とエルサレムに入場してきました。しかし、イエスさまは、子ろばに乗って入場されたのです。小さな弱弱しい子ろばに乗ったイエスさまでしたが、群衆は、ホサナ!ホサナ!という大歓呼で迎えたと聖書には書かれています。ホサナとは、「救い給え」という意味があるということを説教で学びました。

 しかし、大歓声に迎えられたイエスさまが、その数日後に十字架にかけられます。期待した王、ローマの支配から解放してくれる王ではないということを知った群衆は、態度をがらりと変え、今度はイエスさまを十字架にかけることを要求し、それをピラトは、わが身の保身のために通してしまいます。人間の罪が強く現れている出来事です。

 私たちは、目に見えるもの、例えば富や名誉や地位や学歴などに頼って生きていこうとしてしまいます。それらは、一見強いもの、頼りになるものに見えるのです。しかし、本当に私たちを救うのは、そういった形のものではありません。弱弱しい子ろばに乗ったイエスさまは、強いものには見えなかったかもしれません。しかし、私たちが思いもしないような形で、私たちの罪を背負い、十字架にかかって命を落とされ、その十字架の出来事によって私たちは罪から赦され、神さまの前に生きることが赦される存在になれたのです。

 今日から、始まる受難週では、そんなイエスさまの十字架への道を覚えて過ごしたいと思います。たいへんな苦難に満ちた道のりでした。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。(わが神、わが神どうしてわたしをお見捨てになられたのですか。)」と十字架の上で叫ばれたイエスさまの苦悩を忘れてはならないと思います。そして、落ち着いた気持ちで、感謝の思いを忘れずに、イエスさまを心から信頼して、この週を歩んでまいりたいと思います。