ルカによる福音書 24章1~12節
今日はイースター礼拝です。イエスさまの復活をお祝いします。先週、イエスさまはわたしたち罪人の身代わりとなって十字架にかかってくださったお話を聞きました。しかしお話はここで終わりではありません。この先に希望が与えられているのです。このイエスさまの復活は二千年の間、教会が証し続けている大切な出来事です。どんなお話かいっしょに聖書を読んでいきましょう。
イエスさまは十字架につけられ、十字架の上で息を引き取られました。金曜日の午後三時ごろのことです。日没から始まる安息日が迫っていました。安息日には死者を葬ることはできないことになっていました。そんなあわただしい中、アリマタヤ出身のヨセフという最高法院の議員がイエスさまの遺体を引き取りたいとピラトに願い出ました。イエスさまは十字架から降ろされました。そして亜麻布で包まれ、ヨセフが自分のために用意していた新しいお墓に葬られたのでした。
さて、これらの出来事を遠くに立って見ていた女の人たちがいました。イエスさまといつも一緒にいたお弟子さんたちはイエスさまが捕まったときイエスさまを見捨てて逃げてしまって誰もいませんでした。マグダラのマリアやガリラヤからイエスさまと一緒に来た女の人たちだけがいたのでした。そして女の人たちはヨセフの後についていき、イエスさまが葬られている様子を見届けたのでした。
安息日が明けた週の初めの朝早く、つまり三日目の日曜の朝早く、女の人たちは準備していた香料や香油を持ってお墓に向かいました。イエスさまのお身体を自分たちできれいにしてさしあげようとこの時を待っていたのです。ただ気がかりがありました。お墓の入口を塞いでいた重い石を、自分たちで転がすことができるかどうか心配だったのです。
ところが、お墓に着くとお墓を塞いでいた石がわきに転がされ入口が開いているではありませんか。中に入ってみるとイエスさまのお体が見当たりません。空っぽだったのです。女の人たちは困り果ててしまいました。するとそこに光輝く二人の天使が現れたのです。女の人たちは驚き恐れて顔を地面に伏せました。天使は次のように言いました。
「なぜ、生きておられる方を死人の中に捜すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」
女の人たちはイエスさまの言葉を思い出しました。そしてお墓から帰ってお弟子さんたちや他の人たちにイエスさまのお墓が空っぽだったこと、イエスさまはよみがえられたと天使に告げられたこと、一部始終を知らせたのでした。ところが、話を聞いたお弟子さんたちはバカバカしいあり得ない話だと思い、信じようとしませんでした。でもペトロは自分の目で確かめようとお墓へ走っていきました。お墓をのぞくとイエスさまのお身体を包んでいた亜麻布しか残っていません。驚き、首をかしげながら帰っていきました。
イエスさまは復活されたのです。しかしこの復活はすぐには信じることができない出来事でした。お弟子さんたちも最初はイエスさまの復活を信じることができませんでした。信じなかった者がどうして信じる者へと変えられたのでしょうか。ひとつは天使が女の人たちに告げたようにイエスさまの言葉を思い起こすこと、そしてもう一つは聖書に聴くことによってです。このあと(エマオへ向かうお弟子さんたちのお話にもありますが)お弟子さんたちは、復活されたイエスさまが出会ってくださって聖書のみ言葉を聴くことにより心の目が開かれ、信じる者へと導かれて行きます。
わたしたちはどうなのでしょうか。このときのお弟子さんたちとわたしたちは同じです。わたしたちも今、こうして礼拝で聖書のみ言葉と説教のお話を通して、心の目が開かれるのです。そしてイエスさまの復活を信じる者にされ、信仰が与えられるのです。その出来事が本当に不思議なことなのですが、礼拝の中で起こっていくのです。姿を目で見ることはできませんが、復活したイエスさまが生きて働いてくださっているからなのです。
これからもイエスさまの復活の恵みに感謝して、礼拝でいっしょに聖書に聴き神さまを賛美しましょう。