エレミヤは南ユダ王国の預言者です。預言者として神さまから与えられた言葉を人々に伝えていました。
あるとき、神さまはエレミヤに言われました。南ユダ王国の王や人々が神さまに背き続けているので、これを裁き懲らしめることにするとのことでした。エレミヤはこの預言をユダの人々に告げ知らせました。
「あなたたちは神さまに背き、十戒のお約束を破りました。ただひとりのまことの神さまだけを拝まず、偶像の神々を神殿に祀って拝むという罪を犯したのです。悔い改め、まことの神さまのもとに立ち帰って、赦しを求めなさい。そうしなければ神さまがあなたたちを裁くでしょう。神さまは敵国のバビロンを使って南ユダ王国をバビロンの手に渡そうとお考えです。神さまに従いなさい。そうしなければ、あなたがたはバビロンに滅ぼされ、神殿は壊されるでしょう。」
このような預言を人々、ましてや王さまやそれに並ぶ人たちに告げることは勇気の要ることですが、エレミヤは神さまの言葉を包み隠さず一生懸命に伝えました。しかし、これを聞いた人々はとても怒ったのです。人々はなかなかエレミヤの話を聞こうとしません。エレミヤが一生懸命語れば語るほど、人々はエレミヤを憎みました。中にはそんな話は嘘だ!という人もいて、何度もひどい目にあいました。しかしエレミヤはどんなときも神さまがともにいてくださると信じていたので、神さまの預言を語ることをやめませんでした。
エレミヤが生きていたこの時代のイスラエルの人々は、その昔、モーセを通して神さまと大事なお約束(契約)をしました。それが石の板に書かれていた十戒(律法)です。このお約束を守ることによって、神さまを愛し、互いに人を愛して生きることができるはずでした。ところが、人々はお約束を守らず偶像を拝み、繰り返し神さまに背き続けました。イスラエルの人々を愛し共に歩んでくださる神さまが、神さまの方から約束してくださったのに、人間の方から約束を破ってしまったのです。
結局、ユダの人々はエレミヤの神さまの言葉に耳を傾けようとしませんでした。そしてバビロンとの戦争に負けて国を滅ぼされ、神殿を壊され、人々はバビロン捕囚といわれる奴隷となって遠い異国の地へと連れて行かれる悲しい出来事を経験することになったのです。
神さまは約束を破ったユダの人々を懲らしめ、そのままお見捨てになられたのでしょうか。いいえ、神さまはこのような罪深い人間を忍耐強く、み心に留めてくださるお方なのです。神さまは人々が再びまことの神さまのもとへ立ち帰り罪を悔い改めることを願われていました。そしてエレミヤを通して「来たるべき日」に「新しい契約」を立てる、と約束してくださいました。
「新しい契約」は昔の古い契約のように石の板に刻まれて人々に与えられるのではなく、神さまは人々の胸の中に授け、直接「心」に記すと言われました。石の板は割れたりなくしたり取られたり、忘れられたりしましたが、もうその心配はいらないのです。そして神さまはイスラエルの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない、と約束してくださったのです。
これは、「新しい契約」がイエスさまの十字架の出来事によって実現したことを示しています。神の子、イエスさまの贖いによって罪が赦されるという新しい約束です。
わたしたちは、この新しい契約の時代に生かされているのです。わたしたちはイエスさまを頭とする新しいイスラエルである教会で、新しい契約によって歩んでいく者たちなのです。わたしたちの罪はイエスさまがその身に引き受けてくださったことにより取り除かれ、「主の民」、主のものとしてくださいました。イエスさまはわたしたちを愛し捉えていてくださっています。わたしたちの心にもイエスさまのみ言葉が刻まれ、このみ言葉とともに歩むことの出来る幸いを感謝しましょう。