マリアの賛歌

ルカによる福音書 1章46~56節

 今年もクリスマスの時期が近づきました。わたしは、学生であったころ、生誕劇を飽きることなく見ていました。そして教員になって今度は準備する側となりました。毎年欠かさず、ページェントを演じ続けました。そして、教会でも同じストーリーの生誕劇が繰り返し演じられてきました。

 ある教会員の方からいただいた絵本には、高齢になったエリザベトが身ごもる場面が描かれています。50・60になって子どもができるはずがないと今の人たちも思うことでしょう。しかし、神さまは、夫ザカリアに神さまからの贈り物の子どもを授け、ヨハネと名付けなさいと言われました。それにザカリアが反論すると、彼は口をきけなくなりました。

 そして、マリアが登場します。マリアは、天使ガブリエルから御子を授かったことを告げられました。当時の人は、今の人でも、未婚の人が子どもを授かるはずがない思うでしょう。そんな信じられないことが起こったのです。その信じられない状況をどう乗り越えていったらいいのでしょう。

 その時には、理解できないことでも、ある時、同様の驚きがあなたには、あるはずです。ある時、神さまは私たちに何かを与えてくださることがあります。私たちが理解できないこともあります。しかし、聖霊の働きによって、それは自分の思いによっておこるものではありませんが、私たちが神さまを信じ、神さまとのつながりを保ち続けることによって、私たちが理解することができるようになる。そういう日が来るのです。

 マリアさんは、信じることのできる人でした。神さまは、マリアが素直で謙虚な人であることを知っていたのではないでしょうか。それで、神さまは、御子を託されたのでしょう。そのマリアさんですが、エリザベトのもとを訪ねていきます。エリザベトは、マリアの話を聞いて、おなかの中の子が喜んでいたことを告げました。夫ザカリアも子どもの名前をヨハネと付けると、口がきけるようになりました。

 マリアさんは、やがてイエスさまをお産みになります。そして、イエスさまは、今も私たちのところに顕れているのです。わたしは、生誕劇を46年間、演じ続けてきました。そして、この行事は、イエス様誕生というありがたい出来事を確認できる大切な行事だと今でも思っています。