ヤコブ祝福を奪う

創世記 27章18~29節
アブラハムの子イサクとその妻リベカの間に双子の男の子がいました。兄のエサウと弟のヤコブです。双子と言っても外見も仕事も性格も正反対な二人でした。エサウは赤くて全身が毛皮の衣のように毛深く、反対にヤコブの肌はなめらか。エサウは狩りが得意で父イサクの大好きな獲物を捕ってきては父を喜ばせ、ヤコブは穏やかな人柄で、天幕の周りで母リベカを助けて働きました。ですからエサウはイサクのお気に入りで、ヤコブはリベカにかわいがられました。

さて、イサクは父であるアブラハムから神さまから与えられた祝福を引き継ぎました。この祝福は次にイサクの長子であるエサウが引き継ぐことになっていました。ヤコブはこのことが残念でなりませんでした。この長子の特権を重んじていたヤコブはこれを自分のものにしたいと機会を狙っていました。
エサウはというと、神の祝福を受け継ぐ自覚もなく、ヤコブとは反対に長子の特権を軽んじていました。

ある日、狩りからお腹をすかせて帰ってきたエサウはヤコブの策略によって、一杯のレンズ豆の煮物を食べさせてもらう代わりに、こともあろうか長子が受け継ぐ権利を譲ってしまいました。また、エサウはまことの神さまを信じることを大事にせず、異教の神を信じる二人の娘を妻に迎え、イサクとリベカを悩ませていました。このことからエサウが父祖からの祝福を受け継ぐのにふさわしい人ではなかったといえます。

イサクはだんだん年を取り、目がかすんで見えなくなってきました。エサウに祝福を受け継がせるときが来ました。イサクはエサウに狩りに行き獲物を取って、それを料理して食べさせて欲しい、その後に祝福を与えようと言いました。それを知ったリベカはエサウが出かけると、ヤコブをそそのかします。今から料理を作るから、それをもってお父さんのところへ行き、祝福を頂いてきなさい、と。ヤコブはためらいますが説き伏せられます。リベカはヤコブにエサウの晴れ着を着せて手足に毛皮を巻き付けて変装させ、父イサクのもとへ食事を持って行かせました。イサクはまんまとだまされて祝福をヤコブに与えてしまいました。
そうとは知らず戻ってきたエサウは食事を作り父のもとへ行きますが、もう祝福は残されていません。イサクも騙されたことに気付きますが、エサウにしてやれることはありませんでした。

祝福を奪い取られたエサウは激怒して、ヤコブを憎み、父が死んだらヤコブを殺してやると決心するのでした。これを耳にしたリベカはヤコブを自分の実家に逃がしました。こうしてひとつの祝福をめぐって兄弟に亀裂が入り、家族が別れ別れになりました。
ここに人間の罪が犯す現実というものがとても生々しく描かれています。ヤコブは嘘を重ね、父親をだましました。エサウは神さまの祝福を軽んじた行いをしました。父イサクも母リベカも同様に偏った子どもへの愛によって兄弟を争わせてしまいました。みんな罪人なのです。
神さまはヤコブに祝福を受け継がせました。祝福をだまし取ったヤコブが受け継いでいくのは理不尽であるし、なぜなのかという疑問がわき、そしてエサウやイサクがかわいそうに思えてきます。しかし、祝福を与えてくださるのは神さまであり、人の思いを越えた神さまのご計画が遂行されていくのです。神さまはこれらの罪を犯してしまう、欠けを持った弱い人間をすら用いて祝福を受け継がせてくださるのです。ヤコブは念願の祝福を手にしました。しかし兄に憎まれ家を追われ、逃亡生活をする羽目になります。ヤコブのこれからの生活はたくさんの苦労が待ち受けています。が、その手にした神さまの祝福に支えられ守られて歩んでいくことになります。罪人のヤコブを導き、そして人間を愛してやまない神さまの祝福はこうして受け継がれていきます。そして罪を犯す私たちにも神さまの独り子であるイエスさまの十字架によって、祝福を与えられるようになりました。昔に終わった話ではないのです。今を生かされている私たちにもつながって広がっていったのです。
罪を重ねてしまう私たちですが、神さまは変わらず愛して、いっしょにいてくださいます。私たちはこの恵みに感謝して神さまの祝福とともにそれぞれの場所に帰り、神さまの御業に用いられていきますよう祈りたいと思います。