天地創造

 今週から教会学校では、旧約聖書を通して。神さまが、どのように私たちを愛してくださっているかということを学んでいきます。「始めに神は、天地を創造された。」聖書は、この言葉から始まります。何もないところ(無)から何かを生み出し、形作っていくということは、神さまにしかできないことです。そして、それは、私たちのために神さまがしてくださったのですから、とてもありがたいことです。

「光あれ。」と神さまは、おっしゃいました。光というのは、真理を表し、そして愛を表します。それが聖書のすばらしさです。わたしは、26歳のころ、佐田岬半島の三机というところに、当時の牧師先生に頼まれて、説教をしに行ったことがあります。土曜日の夕方に、軽トラに積まれたオートバイと一緒に、舗装もしていないがたがた道を走り、八幡浜から三机まで連れていかれました。気分が悪くなりましたが、後は宜しくと言われ、ガリ版で原稿を作り、週報も印刷しました。どんなことを話したか内容は忘れたのですが、何とか説教を終え、三机から八幡浜にオートバイで帰る道、そこで見た美しい光景が忘れられません。光あれという体験でした。特別の光景を恵みのうちに見せていただいたと思っています。

 ダビデは、詩編の8章4節に「あなたの天を、あなたの指の技を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」と神さまを讃えています。神さまは、感動する信仰を私たちに与えてくださいます。今、つつじの花が次々と咲いています。これも神さまのなさる業の一つで、次には、ちょっと小型のサツキが咲き始めます。神さまは、何でもおできになります。私たちの心をどうか神さまの恵みで充満させていただきたいと思います。