ゲッセマネで祈る

 今年は、3月2日(水)が「灰の水曜日」と呼ばれ、この日からレント(受難節)が始まりました。4月17日のイースターまで、イエスさまの苦しみを覚える時で、その間は、悔い改めの期間として過ごします。

 今日のお話は、最後の晩餐の後のオリーブ山での出来事です。イエスさまが捕らえられた後、弟子たちはみんな散り散りになって逃げてしまいました。しかし、イエスさまは、そのことはすべて見抜いておられました。そして、甦った後、わたしは先にガリラヤに行くとお話になりました。これは、散り散りになった後も、先にガリラヤに行って、弟子たちを再度呼び集めるということを伝えるためでした。私たちは、心の弱い存在です。ですから、自分の力では、イエスさまについていくことはできません。しかし、甦られたイエスさまによって、私たちも教会に集めていただいています。そのことを信じさせるために、前もって弟子たちにお話になったのです。

 イエスさまは、ゲッセマネで、人間と同じく弱いものとなり、血の汗を流して祈られました。そして、弟子たちに「目を覚ましていなさい。」と言われた後、祈られました。「できることなら、この杯を取り除いてください。しかし、御心に適うことが行われますように。」と神さまに祈られたのです。イエスさまの覚悟が表れています。しかし、弟子たちは、イエスさまのその苦悩を知らず、眠りこけてしまいます。同じことが繰り返され、イエスさまは、眠っている弟子たちを見て言われました。「もうこれでいい。時が来た。」これは、神さまのご計画が変わらないことを知り、十字架にかかられることを決心した言葉でした。

 ところで、イエスさまの苦しみを知らず、眠りこけていた弟子たちの姿、それは、私たちの姿と重なります。「目をさましていなさい」と言われた言葉の意味は、「神さまの御心を追い求めながら、生きていきなさい。」ということでしょう。しかし、私たちの祈りは、自分の願いばかり祈っているのではないでしょうか。確かに、私たちは、思い通りにならず、悩み苦しみながら生活しています。しかし、そんな時に、神さまの導きやご計画を信頼して、御心に適うようにと祈ることで、最も良い道が示されるのです。私たちの罪が赦され、新しい生き方へ変えられていくのです。そのことを覚えて、レントの時を過ごしていきたいと思います。