最も重要なおきてについて学ぶ

イエスさまが人々と議論して立派にお答えになられているのを聞いていた一人の律法学者がイエスさまにこう尋ねました。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」。あらゆる掟というのは、律法のことです。律法というのは神さまの戒め、掟のことです。ユダヤ人と呼ばれる人々は、皆神さまから与えられた律法を掟として守るそういう生活しておりました。
私たちはこうして日曜日になると教会に集まって神さまに礼拝を捧げておりますが、律法を学んでいませんね。でも旧約聖書を開くとそこには律法が沢山書いてあります。それは今も律法は大切な神さまの戒め、掟として生きているということなのです。律法は神さまの言葉なんです。
その律法のことを研究しているある一人の律法学者が、その沢山ある律法の中で一番大事なこと、一番重要な掟は何か、イエスさまならお答えになられるに違いないと思って尋ねたんですね。

するとイエスさまはこうお答えになられました。「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」。イスラエルと言うのは、ユダヤ人の先祖達のことです。神さまによって選ばれて神の民とされた人たちです。そして最初に律法を神さまから授けられた人たちですね。そのイスラエルに神さまが第一にお命じになられたことは、ただ一人の神であり、この世界を造り、人を創造して命を与えて生かしているこの私を心を尽くして、精神を尽くして、思いを尽くして、愛しなさいと言うのです。
神さまを愛するというのは何よりも神さまのことを大事にするということです。いつでもどこでも、どのようなときにも神さまのことを忘れない。神様と共に生きる。神さまに信頼して歩む。神さま全てを明け渡して、委ねて生きる、神さまの言われるとおりに生きる、これが愛するということです。沢山書いてある律法がまず私たちに教えていることは、神さまを愛して生きるという生き方だったのです。

そしてもう一つ律法が教えていることがあります。それは「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めです。隣人というのは「となりびと」のことです。私たちが一緒に生活している人々ですね。家族や兄弟ばかりではありません。学校のお友達、近所に住む人々、私たちと色々な形で繋がっている全ての人々のことをイエスさまは隣人と言っておられます。そのとなりびとを自分のように愛しなさい。大事にしなさいと言われるのです。これが律法の教える二つ目に大事な戒め、掟であったのです。

聖書には律法が沢山書いてあるけれども、結局律法が教えていることは、神を愛するということと隣人を自分のように愛するというこの二つだとイエスさまはお話になられたのです。そしてこの二つの掟を大事にして生きるなら、あなたは救われます、そう言われたのです。

カルヴァンという今、私たちが礼拝を捧げている教会の基礎を立てた牧師がいましたが、カルヴァンは教会学校の子どもたちに大切なことを教えました。人生の一番大事なことは何かということです。それは神を知ることであると教えました。勉強して良い学校に入る、いい会社に入り、お金を稼ぐ。それが人生を生きていく上で大事なことであると思うかもしれません。でもカルヴァンはそうではなくて、あなたの命を本当に生かしておられる神さまを知り、神さまを愛して生きる、これが最も大事なことであると教えたのです。カルヴァンがこのように教えたのは今から500年も昔ですが、私たち人間が神さまによって造られ、命を与えられ生かされているという事実は変わらないですね。時代が変わり、社会も世界も進歩してもこれだけは変わらないです。
ですから人間は神さまによらなければ喜びを持って生きることは出来ないですね。神さまのお姿は見えないですが、律法を通してユダヤ人たちは神さまの掟を知ることが出来ました。
でも律法を学んだら、神さまを知り、神さまを愛して、そしてとなりびとを自分のように愛することが出来るでしょうか。イエスさまは、律法学者が「先生のおっしゃるとおりです」と答えたことに対して、「あなたは、神の国から遠くない」と言われました。でも、まだ十分ではないといわれるのです。これは律法によっては出来ないということです。
じゃあ、どうすれば私たちは神を愛し、隣人を愛して生きることが出来るのでしょうか。それは福音であるイエスさまを信じることによってそうすることが出来ます。
イエスさまは神さまの掟を守ることの出来ない私たち罪人のところへ来て下さった救い主です。その救い主が私たちの身代わりとなってあの十字架におかかりになって死んで下さったのです。神さまを愛して神さまの御心に従われて、ご自分の命をあの十字架に捨てて、私たち罪人を愛して下さったのです。イエスさまこそ、律法が命じているあの二つの大事な戒めを守り行われたただお一人の神、救い主であられたのです。このイエスさまを信じる信仰によって、私たちは神を愛し、となりびとを自分のように愛して生きる救いの道を歩むことが出来るのです。

そのために、神さまはこうして日曜日ごとに私たちを教会に招いておられるのです。今日の聖書に出てきた律法学者にイエスさまが「あなたは、神の国から遠くない」と言われましたが、何故イエスさまはこのように言われたのかと言うと、律法学者の目の前に立っておられたからです。私たちの目の前にもイエスさまは立っておられるのです。そして私たちを神の国に生きる者ことが出来るように働いて下さっておられるのです。それがこの礼拝です。礼拝を通して、私たちはイエスさまを下さった神さまに出会い、神さまに感謝することが出来ます。神さま、イエスさまを下さってありがとうと言うことが出来ます。そしてイエスさまが私たちの身代わりとなってあの十字架に死なれたことを知り、となりびとを愛することを学ぶことが出来ます。イエスさまはご自分の命を捨てて私たちを愛して下さいました。なら私たちもその愛に生きねばならないですね。神さまの掟を守る力は私たちにはありませんが、でもイエスさまに力を頂いて、イエスさまに愛されていることをもう一度思い出して、自分もイエスさまに倣って歩んでいこう。神さまをいつでも忘れないで信じて、となりびとを愛して生きるそういう道を歩んでいこう、そういう力、希望をこの礼拝において神さまから頂いて、1週間を生きる。神さまと共に、学校やおうちや、色々な所で家族やお友達と仲良く気持ちよく生活する、そういう力をこの礼拝で頂くのです。
イエスさまは教会で毎週、皆さんが帰ってくるのを待っておられるのです。