イエスさまは、地上で30数年にわたって生活されましたが、そのうちの最後の3年間は公生涯と言われ、ご自身を救い主として人間に話され、人間を救うために亡くなられました。聖書には、この3年間にイエスさまが言われた言葉や行動が記されていますが、そのうちの始めのことが今日読んだ聖書の箇所には書かれています。
今日の聖書箇所(マルコによる福音書11章1~11節)には、エルサレムにイエスさまが入城された時のことが記されています。ここでは、次の4つの点が印象に残りました。
一つは、イエスさまは、人々に大歓迎を受けながら、エルサレムに入城されたということです。ホサナ、ホサナ(王さまがおいでになった。どうか我々をお救ください)という声を受けながら、エルサレムに入城されたイエスさまでしたが、その直後にその人たちは、イエスさまを十字架にかけて殺してしまいます。それは、イエスさまが、彼らが期待していた王さまではなかったからでした。かれらは、この世に立派な王国を建ててくださる王を期待していたのでしたが、イエスさまはそういうことはされませんでした。さらに、当時の律法学者たちは、ユダヤの教えを忠実に守ることで救いを得られると考えていましたが、律法を守ることは人間にはできない、人間が救われるためには、わたしを救い主として信じて歩みなさいと言われたイエスさまの教えは、それに反するものであったのです。
二つ目は、イエスさまがロバに乗って入城されたことです。さっそうとした馬ではなく、小さなロバに乗ってエルサレムに入城されたイエスさまの姿からは、謙虚さが感じ取られます。
三つ目は、そのことは、じつは、ゼカリヤ書9章「見よ、あなたの王が来る。・・・高ぶることなく、ロバに乗ってくる。」にて予言されていたのです。パスカルも、イエス・キリストが現れることが予言されていたということは極めて重要なことだと言っています。他にもたくさんの偉大な宗教家がいますが、予言されてやってきたのは、イエスさまお一人なのです。
最後の四つ目は、ロバのことです。イエスさまは、弟子たちに、ロバを連れ出そうとした時に、だれかに咎められたら、「主がお入り用なのです」と言いなさいと言われました。実際にそのようになったので、弟子たちがイエスさまに教えられたとおりに言ったら、ロバを連れていくことを許してもらえました。ロバは、神の御子の御用として備えられていたということなのです。
イエスさまは、エルサレムに入城後、祭司や律法学者たちと論争をされ、裁判にかかり、十字架につけられましたが、甦られ、天に昇られました。そのような重要な出来事がこれから始まろうとしている、その入り口の出来事についてのお話でしたが、今日の聖書か所をお話しすることを通して、自分の信仰が深まり、さらに固まった思いがします。