創世記17章1~7節
神さまはアブラムを選ばれて「わたしの示す地に行きなさい」と命じられ、「あなたの子孫にこの土地を与える」と約束されました。アブラムは神さまの声に従って旅立ちました。このときアブラムが75歳、妻のサライが65歳でした。
さてそれから何年も経ちましたが、アブラムとサライの間にはまだ子どもは与えられません。ずいぶん年も取って99歳にもなりました。神さまのお約束をただ信じて神さまに従って歩むことは大変難しいことです。わたしたち人間は神さまがおっしゃったとおりに本当にそうなるのだろうかと疑ったり、神さまはお約束を忘れてしまわれたのかもしれないとあきらめて、自分の思うとおりにしようとしたりするからです。このような多くの困難を乗り越えながら神さまに従ってきたアブラムの前に神さまは現れて言われました「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」と。神さまがお決めになったことはなんでもできる、人間がそんなことはできないと考えても神さまにはできるのだ、だからあなたはわたしにどんなときも従って歩みなさい、とお命じになっています。99歳のアブラムに向かっておっしゃるのです。神さまがお命じになるのに、年齢は関係ありません。年を取っていても、逆に年が若くても神さまは等しく向かい合ってくださりお命じになります。この驚くような神さまのみわざを、わたしたち聞く者に思い起こさせるものなのです。
続けて神さまは、ここでも約束の言葉を告げられます。「わたしはあなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。あなたは多くの国民の父となる。」と繰り返し約束されます。そしてここで神さまはアブラムからアブラハムに(サライはサラに)名前を変えなさいとお命じになりました。名前はその人が何者であるか、どういう生き方をしているかを示すものです。それを変えなさいと神さまは言われました。神さまが名前を変えなさいとアブラムに言われるのは、神さまがアブラムに、神さまの御前にどういう存在であるのか、さらにアブラムの生き方をお示しになるということです。アブラムを「多くの国民の父」であるアブラハムとするということです。さらに「わたしはあなたをますます繫栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう」と言われます。神さまはこのようにアブラムからアブラハムと名乗るように告げ、子孫の繁栄とカナンの土地が与えられること、そしてご自身が永遠に「あなたとあなたの子孫の神」となることを約束されました。
アブラハムは神さまとの契約を心から受け入れて、神さまを信じて、神さまに従って歩みました。神さまは約束されたとおりに、アブラハムにたくさんの子孫を与えられました。アブラハムの神となってくださった神さまは、この後、アブラハムの子どもであるイサク、その子であるヤコブの神になってくださいました。そしてこの神さまがイエスさまの父なる神さまであるのです。
神さまがアブラハムと結ばれたこの契約は、この2000年の後に、イエスさまがすべての人間の罪のために十字架にかかって死なれ、神さまによって復活させられることによって実現しました。イエスさまによって、この契約がわたしたちのものとされたのです。アブラハムと契約された神さまが、今わたしたちが信じる神さまなのです。
そしてその神さまがわたしたちを選び、教会の礼拝に招いてくださり、み言葉を与えて神さまを信じて歩む者としてくださいます。わたしたちが歩む道のりは決して楽で平坦な道のりではなく、結果がすぐ出ず、答えが見つからないものかもしれません。が、アブラハムを通して神さまが示されたように、神さまを信じて従う人には必ず、豊かな祝福を与えてくださいます。これからも信じてみ言葉を聞いて歩みましょう。