占星術の学者たちの礼拝

 新しい年を迎えましたが、教会ではクリスマスツリーが飾られています。それは、東方から学者(博士)が現れた日をエピファニーと呼び、学者たちが神の子の誕生を確かめ、世に知らせ、贈り物をした日として、イエスさま誕生の日の12日後のその日までをクリスマスとしているからなのです。

 みなさんにとって、2021年はどんな年でしたか?様々な出来事がありましたが、コロナ禍により制約の多い年でもありました。今まで当たり前にできていたことが安心してできなくなり、普段の日常生活のありがたみに気付いた人も多かったと思います。本教会にも昨年末には2名の受洗者が与えられました。しかし、4名の方が天に召られました。家族や親しい人たちが天に召された悲しみは、何年も、何十年も、生きている限り続くものです。そして、その悲しみを癒すことができるのは、神さましかおられません。ですが、その人の生きざまからは、自分がこれからどう生きていこうかと教えられ、考えさせられます。人の死を通して、自分の生きざまを考えさせられるのです。イエスさまは、人のために生き、人のために死なれました。私たちに命と死を与えるためにイエスさまは来られたのです。それは、クリスマスは、イエスさまが、世界中の人たちの救い主として、誕生されたことを現しています。

 今日の聖書の箇所は、ページェントなどでよく見聞きする場面です。3人の博士たちは、星に導かれてエルサレムにやってきました。そこで、ベツレヘムで救い主がお生まれになったことを知り、再度星に導かれて馬小屋にたどり着きました。そして、そこで、イエスさまを礼拝し、箱を開けて宝物を捧げました。宝物の黄金は、イエスさまが、まことの王になられることを、そして、乳香は、完全な大祭司になられることを、そして没薬は、死を表し、のちに最高の救い主となられることを予告したものでありました。

 ところで、この博士たちは、帰りにはエルサレムのヘロデの元には戻らず、別の道を通って自分たちの国に帰っていきました。博士たちが星に導かれて歩んだのは、聖書のみ言葉を信じて出発し、み言葉に導かれながら、御子のもとにたどり着いたことを表しています。詩編109編に、「あなたのみ言葉はわたしの道の光、わたしの歩みを照らすともしび」というみ言葉があります。新しい2022年ですが、いろいろな出来事があることと思います。試練や悩みもあることでしょう。しかし、一人一人の歩みを共にいて導いてくださる神さまが、私たちのすぐそばにいらっしゃいます。「インマヌエル」ということばを胸に刻んで、今年も歩んでいきたいと思います。