羊飼いたちの礼拝

 今日は、世界で一番最初に、「イエスさまの誕生」という神さまからのプレゼントを受け取った人のお話です。このプレゼントは、救い主が生まれましたよということを天使から知らされるという形で、与えられました。では、だれが、一番最初に、知らされたのでしょう。普通に考えたら、これは、ユダヤでの出来事ですから、ユダヤの国にあった神殿の祭司長とか、聖書の専門家の律法学者とか、もしかしたら、ユダヤの国の王であったヘロデ王とか、そういった人たちが知らされたのではないかと考えるのですが、実は、そうではありませんでした。聖書で読んだとおりに、一番初めに、イエスさまの誕生を知らされたのは、羊飼いたちだったのです。
 羊飼いという仕事は、その当時は、人々から、嫌われ、嫌がられる仕事であったようです。羊というのは、おとなしくすなおなのですが、目が悪く、迷子になりやすいのだそうです。そのために、おおかみなどの周りの動物からは狙われやすい生き物でした。また、羊泥棒もいて、それらの敵から、羊を守るために、羊飼いは、夜も、家に帰って眠ることなく、羊のいる野原で体を休めながら羊の番をしていたようです。羊は生き物ですから、その仕事は、昼も夜も、そして1年365日、一日だって休むことはできません。当然、「安息日には、仕事をしてはならない。」という律法は守ることはできませんでした。そのため、周りの人々からは、罪深い人たちとして見られ、軽蔑されたり、馬鹿にされたりしていました。ですから、羊飼い本人たちも、自分たちは、最低の人間であるという思いから、逃れることはできなかったことと思います。
 そんな羊飼いたちが、ある晩、野原で寝ずに羊の番をしていた時のことでした。突然、周りが明るくなり、天使が現れました。そこにいた何人かの羊飼いたちは、とても驚きました。そして、怖い気持ちでいっぱいになりました。すると、天使は、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを伝える。」そう言ったのです。「大きな喜びってなんだろう?」と羊飼いたちは思ったことでしょう。すると、「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と天使は、いうのです。「救い主?」と羊飼いたちは思ったはずです。だって、彼らは、自分たちは律法を守ることのできない罪深い人間だから、救われるはずはないと思っていたからです。でも、確かに、「あなた方のために」と天使は言いました。すると、「自分たちも救っていただけるのか。」と、思ってもいなかった報せにうれしくなりました。すると、天使に交じって、天の大軍が加わりました。天の大軍というのは、天使みたいな人がたくさんあつまってきたのでしょう。天がさらに明るくなり、羊たちの眠る野原も明るく照らされたことと思います。そして、「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」という賛美の言葉が聞こえ、天使たちは消えていきました。
 羊飼いたちは、元の暗い夜に戻ったその時、素早く決心しました。そして、ベツレヘムへ向かってすぐに出発しました。きっと羊たちは、そこに眠ったままだったのでしょう。いそいで駆けつけると、きっと夜が明けたころだったに違いありません。マリアたちのいる馬小屋はすぐに見つかりました。きっと天使たちの導きがここでもあったのだと思います。そして、飼い葉おけに寝かされた赤ちゃんとマリア・ヨセフを見つけたのです。その時、羊飼いたちとマリア、ヨセフの間にどんな会話があったでしょう。聖書には書かれていませんが、想像してみました。
「おお、この子だ。この子が、救い主の赤ちゃん様だ。」
「おお、なんとかわいい。しかし、救い主に、こんな馬小屋で生まれるとはおどろきだ。」
すると、マリアはこう言ったことでしょう。
「どうして、この子が救い主だとご存じなのですか。」
「だって、天使がいっぱい現れて、わしらに教えてくれたんだ。ダビデの町で今日救い主がお生まれになったってさ。それで、わしらは、夜通しかけて駆けつけてきたんだ。そしたら、ほら、このとおりだ。天使の言ったことは本当だ。確かに、このお方が救い主の赤ちゃん様だ。赤ちゃん様、わしら、罪人の羊飼いたちをどうか救ってください。」
 マリアは、その言葉を聞いて、とてもうれしくなったことでしょう。だって、天使ガブリエルから突然あなたはいと高き方の子を産みますと知らされて、その後、一度も天使が現れることはなかったからです。あれは、本当のことだろうか。この子は「偉大な人になる、いと高き方の子と言われる」と天使はおっしゃったはずだけど、まぼろしではなかったんだろうか。そんな不安が心のどこかにあったからでした。でも、羊飼いの言葉を聞いて、マリアは、「これらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた」と聖書に書かれていたように、今までの苦しかった出来事や辛かった胸のうちを思い出しながら、この子は確かに救い主なのだ、わたしがこの子を産んだことは間違いではなかったのだという確信が持てたのだと思います。そして、羊飼いたちに、きっとこう言ったことでしょう。
「この子は救い主の赤ちゃん様という名前ではありませんよ。イエスと言う名前なのですよ。」
「おお、そうか。イエスさまか。とてもいい名前だ。そうじゃ、イエスさま。お願いです。どうかわしら罪人を罪から救ってください。そして、わしらを守ってください。あっ。そうじゃ、羊のことをすっかり忘れていた。早く戻って、わしらも羊たちを守ってやらなくちゃ。」
 そう言いながら、羊飼いたちは、神さまを崇め、賛美しながら、大急ぎで、帰っていきました。羊飼いたちは、このうれしい報せを、きっと会う人会う人に、喜びに満ちた顔で知らせていったことでしょうね。羊飼いたちの生活は、前と全く変わりませんでしたが、心の中は、安心と平和で満たされ、イエスさまに守られながら幸せな人生を送ったことと思います。
 最後に、救い主の誕生といううれしい報せ、クリスマスの本当の喜びが、どうして、一番最初に羊飼いたちに知らされたのかという不思議について考えてみましょう。羊飼いたちは、始めにお話ししたように、人々から軽蔑されたり、馬鹿にされたりする存在でした。しかし、彼らは、一日も休むことができない羊の世話に一生懸命にかかわる人たちだったのです。律法を守らない罪人と周りの人たちからは侮られていましたが、命を守るという大切な仕事をしていた人たちだったのです。その人たちを、神さまはお選びになったのです。天の大軍が現れて言った言葉を、もう一度振り返ってみます。
「いと高き所には栄光、神にあれ。地には、平和、御心に適う人にあれ。」
すこし簡単に言うと、「栄光が神さまにありますように。そして、平和が神さまの御心に適う人のもとにありますように。」そのように言っているのですね。
 イエスさまの誕生は、民全体、つまりすべての人に与えられた大きな喜びではあるのですが、その喜びが本当にわかるために、神さまの御心に適う人になることが求められています。羊飼いたちは、神さまの御心に適う人たちだったのです。御心に適う人とは、どんな人なのか。今日のテキストにこう書かれてありました。「それは、主の栄光に照らされ、恐れおののく人。つまり罪のゆえに神の前では恐れることしかできない存在であること。それ故に神が送ってくださった救い主を心から受け入れる人です。」そう説明されていました。
 羊飼いは、救い主の乳飲み子イエスさまの誕生を心から受け入れることができる人たちでした。それは、彼らが、人々から馬鹿にされながらも、一生懸命に生きる人たちであったからに違いありません。そして、私たちも、羊飼いたちと同じように救い主イエスさまの誕生といううれしい報せを知らされた存在です。知らされている場所は、ここ教会なのです。この城東教会で、私たちは、イエスさまに今日も出会うことができます。イエスさまから、声を掛けていただき、イエスさまから、勇気と希望を与えていただけます。目に見える形のプレゼントではありませんが、心で感じるプレゼント、体全体で味わうプレゼントとして私たちは、イエスさまの誕生といううれしい報せを心から感謝して受け取りたいと思います。