暗闇に輝く光の到来

ルカによる福音書二章一-七節
 クリスマスが来ましたね。今日は十二月十九日、ほとんどの教会では、この十二月の第三日曜日にクリスマス礼拝をします。今年はコロナ対策のために出来ませんが、いつもならその午後に一年に一度の愛餐会をして、一緒に持ち寄りの御馳走をいただき、CSの皆さんの、クリスマス劇を見たり、教会員の人達の出し物を見たり、ゲームを楽しんだり、楽しいクリスマスを味わいます。
 キリスト教国のクリスチャンホームではそのほかに二十五日の昼に、遠くに住んでいる親戚の人や親しい友人が、一年に一度両親の家などに寄り集まって、昼食を一緒にしてクリスマスのお祝いをします。ホストファミリーは七面鳥の丸焼きを中心に出来る限りの御馳走をし、会えなかった間の溜まっていた事などのおしゃべりを楽しみます。子どもたちは、クリスマスツリーの下に溜まっていて、それまで、期待でいっぱいに、我慢して待っていたクリスマスプレゼントを開けて、大喜び。にぎやかなクリスマスの集まりです。
 勿論日本の家庭でも、同じように祝う家もあります。特にクリスチャンホームの家はそのように祝う家も多いでしょうが、そうでなくてもローストチキンとクリスマスケーキで楽しい食事をすることもあると思います。クリスマスが近づくと、町にはクリスマスツリーや様々なクリスマスの飾りが飾られて、クリスマスソングが絶え間なく鳴り響いて、何かわくわくするような、気分が掻き立てられますね。
 このわくわくが、何のわくわくなのか、何故嬉しい気分、晴れやかな気持ちが掻き立てられるのか、本当にその意味を分かっているのは、実はイエスさまのご誕生を知っている者、イエスさまのご誕生の本当の意味を分かっている者だけです。
 今から二千二十年余り前の、最初のクリスマス、イエスさまのご誕生の時は、どんなだったのでしょうか?実はその当時は暗い時代、人々にとっては生きにくい時代、暗い夜のような時代であったのです。
 イエスさまのご誕生は、ローマの皇帝アウグストの時代に実際に起こった事です。これは歴史的にも証明されている事実なのです。当時中東の殆んどの国々はローマの支配のもとにありました。ローマ皇帝は、「人口調査をせよ」との命令をローマの支配下にある国々全部に下しました。何のため?それは人口の実態を調べて、きっちりと課税をし、その集めた税金でローマを富ませ、軍備を増強して、ますます強大な国造りをするためでした。そのため、人々にそれぞれの本籍地、生まれた場所に帰って、住民登録をしなくてはならなかったのです。ヨセフとマリアはダビデの家系でありましたから、当時住んでいたナザレから、ダビデの地べツレヘムまで帰って、そこで登録をしなければなりません。ナザレからべツレヘムまでは、百四十五キロメートル(松山から瀬戸大橋までは百四十九キロメートル)といいます。当時は車も鉄道もありません。徒歩で約一週間を歩き通さなければなりません。ヨセフは間もなく赤ちゃんが生まれる、臨月のマリヤをロバに乗せて、マリアをかばいながら、どんなに大変な旅であったことでしょうか。マリアはもっともっと苦しく不安だったことでしょう。道は険しく登り坂の多い旅路です。そのような旅の末に、やっと辿り着いたべツレヘムには、もう全国から集まって来た、べツレヘム出身の人々で一杯、どんなに探しても、二人が泊まる宿屋は見つかりません。
どこを訪ねても、「うちはもう一杯で、御泊めする部屋はありません。」と断られるばかりです。遠路を歩いてようやく辿り着いた身重もの疲れ切ったマリアを見て、ちょっと工夫して融通して他の人に詰めて貰ってでも、横になる場所を作ってあげるなどという優しい愛の心はなかったのでしょうか。聖霊によって身ごもり、この世を救うために神さまから贈られた、救い主なる御子を迎え入れる余地が、人々の心に全くなかった事が思われます。やっとどうにか入れてもらえた家畜小屋の中で身を横たえると、間もなくマリヤは産気づき、男の子を産みます。これが救い主、イエスさまだったのです。
 救い主イエスさまのご誕生は、旧約の時代から預言がなきれていました。旧約聖書のミカ書五章一節には次のようにあります。「エフラタのべツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、私のためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」。このように書かれています。神さまの民であるイスラエルを治める本当の支配者である救い主が、べツレヘムで、ダビデの子孫から生まれる、という預言です。それは古くから神の御計画の中にあったことだったと言っています。この預言の実現がべツレヘムでのイエスさまのご誕生です。預言は実現しました。ですからこれらは皆、神さまの御計画の中で起こった事であることに気付かされます。
 この預言の実現であるイエスさまのご誕生は、暗い闇の夜に輝く、神の恵みの光の到来です。生まれ給うた神の御子、イエス・キリストは、やがて私達人間の罪を全て代わりにその身に負い給い、十字架の上で、その貴い命を代償として贖って下さる救い主となられました。そのために、この時、古くからの預言の通り、このべツレヘムの家畜小屋で、お生まれになったのです。
 イエス・キリストは、暗闇に輝く光としておいでになりました。私達はなお罪の中にあり、私達の生きる世界もまた、暗闇に包まれています。けれども、まことの光であるイエス・キリストをしっかりと受け止め、神さまの愛の光の中を歩み続ける時に、イエスさまのご誕生の意味がはっきりと理解でき、クリスマスを、厳かな思いとともに、本当に心から喜び、「主は来ませり」と心の底から喜び迎えることが出来るのではないでしょうか。