山上で主の姿が変わる

 ある日、イエスさまはお弟子さんのペトロとヤコブとヨハネを連れて高い山へ登られました。6日後、と書かれていますが、この6日前にイエスさまはご自分が死ぬということと復活されるのだということを弟子たちにお話されたのでした。死を前にして弟子たちにお話しなくてはならない辛い日々を、イエスさまは、送られていたはずです。そしてこの話を聞いたときに心配のあまりイエスさまをいさめて厳しく叱られてしまったペトロも悲しい日々を送っていました。そんなペトロを励まし、神さまの前でご自分の苦難の死の意味について丁寧にお話されようとしたのです。
 さて、山の上で不思議なことが起こりました。イエスさまがみるみる真っ白に輝く姿に変えられたのです。さらに不思議なことが起こりました。モーセとエリヤが現れてイエスさまとお話しし始めたのです。モーセは旧約聖書の出エジプトに出てくる人物です。エジプトの奴隷であったイスラエルの人々を導き出して、シナイ山で神さまから「十戒」をいただいた人物ですね。つまり「律法」の代表です。そしてエリヤは旧約聖書の列王記に出てくる預言者の一人で、異教のバアルの神々に仕える預言者たちと戦って勝利へ導いた人物です。つまり「預言」の代表です。旧約聖書の大事な土台となる律法と預言の代表二人が現れたということです。その二人とイエスさまが話をされていました。
 この様子を見ていたペトロは興奮のあまり、お話をしておられるイエスさまに口をはさんで言いました。「先生、わたしたちがここにいるのはすばらしいことです。この場所に三つの小屋を建てましょう!一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」と。ペトロはどういえばいいかわからなかったのです。このペトロの提案は神さまのみ心ではなかったので、雲がもくもく現れて三人の姿は隠されてしまいます。雲の中から神さまの声がしました。「これはわたしの愛する子、これに聞け」と。
 この不思議な出来事から、神さまはペトロを含む3人のお弟子さんたちに何を示そうとなさったのでしょうか。
 イエスさまのお姿が真っ白に輝き、この世のどんなものよりも白く変えられた、というのは、イエスさまの罪のない清らかな御姿を示しています。この世のどんな立派な人であろうとも、イエスさまの清らかさに及ぶものはいないのです。
 そして旧約聖書を代表する二人とイエスさまがお話されたということは、この後に律法学者や祭司長などが認めないと言ってイエスさまを十字架に架けようとも、イエスさまは旧約聖書で約束された神さまからの「救い主」に間違いないのだと示しています。神さまの独り子であるイエスさまは、わたしたちの罪を赦すために苦難の十字架への道を歩み、神さまによって三日目に復活させられるメシア(救い主)なのだと示しているのです。だから、このイエスさまのみ言葉に聞き従いなさいと、神さまは言われたのです。
 ペトロたちはこのときまだすべてを理解することができませんでした。が、この後もイエスさまはペトロたちを見捨てることなく、十字架に死なれるまで人間としてお弟子さんたちとともに歩まれました。ペトロがイエスさまたちのために「小屋を建てたい」と提案をしたのは、イエスさまのお姿が輝かしく変わったすばらしい光景をいつまでも続けておきたいと願っていたからです。けれども、まだそれはゆるされていないのです。かがやかしい復活されたイエスさまといっしょにいつまでもいることができるのは、天国へ行ってからなのです。ペトロも私たちも、この出来事から示されていることを信じて、日々神さまから与えられた使命を一生懸命に果たしながら地上を歩んでいかなくてはなりません。
 自分の人生は何だろうとはたと立ち止まったり、疑問に思ったりすることもあるけれども、今、わたしたちはこうして礼拝に招かれて、イエスさまのみ言葉を聞くことができます。そしてどんなときも、復活されたイエスさまがともにいてわたしたちのことを知ってくださり、励まし支えてくださることを覚えて、また新しく歩みだすことができるようにしてくださいます。
 神さまの「これはわたしの愛する子」と言われたイエスさまに、私たちもこれからも聞き従う、聞き従い続けていくものでありたいと願います。