今日のお話は、イエスさまが、8か月にも及ぶと思われる長い旅を終え、ガリラヤ湖に戻ってきたときのものです。民衆は、イエスさまが戻ってこられたことを聞きつけました。そして、ある人が、「耳が聞こえず、舌が回らない人」を、イエスさまの元に連れてきたのです。そして、この人の上に手を置いてやってくださいとお願いしました。
イエスさまは、群衆の中から、この人を一人だけ連れ出しました。そして、指を彼の両方の耳に入れ、ご自分のつばを付けた指で、彼の口に触れました。そして、天を仰いで深く息をつき、「エッファタ」と言われました。すると、この人の耳が開き、はっきりと話すことができるようになったのです。
イエスさまは、どうして、誰も見ていないところで、この奇蹟を行われたのでしょうか。人々に見せるのを避けたというだけでなく、イエスさまは、この人に一対一で向き合われたということを示しています。これは、助けを求めている人と人格的に交わるためであったと思われます。イエスさまは、目の前の人を貴重な尊い存在として心にかけられたのです。そして、「エッファタ」という言葉には、イエスさまの深い憐れみが込められています。
神さまのおられる天を仰がれたイエスさまは、深く息をついて、「エッファタ(開け)」と祈られました。すると、天の父は御子の祈りに耳を傾け、癒しを与えてくださいました。そして、この人は、神さまを賛美できるようになったのです。周りの人は大喜びをして、周りの人に言い広めました。きっと喜びが溢れ出してしまったのでしょう。
ところで、わたしたちは、耳が聞こえているのでしょうか。口が利けているでしょうか。わたしたちは、耳が聞こえていても、み言葉を聴こうとしないことがあります。口が利けるのに、祈れないこともあるのです。そんな私たちですが、イエスさまは、一対一で向き合ってくださいます。そして、悩みや苦しみを受け止め、天の父に対して、祈ってくださるのです。
信仰は、イエスさまのとりなしによって、神さまから与えられます。わたしたちには、悩みや迷いがあります。しかし、そんな時、イエスさまは、わたしたちに働きかけてくださり、救いの御手を差し伸べてくださいます。そのことを覚え、どんなときにも感謝の気持ちを持ち、希望をもって生きていきたいと思います。