あるとき、イエスさまのもとに目が見えず口のきけない人が連れてこられました。イエスさまがいやされると、この人は口が利けるようになり、目が見えるようになりなったのです。この人もどんなに喜んだことでしょうか。そして周りにいた人たちもイエスさまのなさったことを見ておどろき「この人はダビデの子ではないだろうか。救い主ではないだろうか。」と言い始めたのでした。聖書にはこの人は「悪霊に取りつかれていた」と書かれていました。悪霊というのはわたしたちが神さまをあがめないようにしようとする得体のしれない力を持った何ものかです(神さまから引き離そうとする力です)。その力によって人間が支配されてしまうことをここでは悪霊に取りつかれる、と表されています。
聖書の時代に、病気や身体の障害は悪霊の仕業だと考えられることがありました。イエスさまはさまざまな病気や障害をいやされてきましたが、単に悪霊を追い出しただけでなく、その人を深く憐れみ、救われたことを意味していました。しかし、今日の聖書の箇所の人々は「驚くばかり」であったと書かれています。また、この後に出てくるファリサイ派の人たちのように、イエスさまのことを理解せず、神さまの救いの御業であると素直に受け止めることができませんでした。つまり悪霊に取りつかれたかのようになっていたのです。
ファリサイ派の人々はイエスさまのことを、「悪霊の頭ベルゼブルの力によって、悪霊を追い出したのだ」と言いました。イエスさまのことを救い主ではなく、悪霊の親分であると言ったのです。イエスさまはファリサイ派の人たちの考えをすべて見抜いておられました。イエスさまはまず、「サタン(悪霊)がサタンを追い出すことはしない」と言われました。サタン同士で内輪もめを起こしたらサタンの支配が成り立たなくなり、滅びてしまうので、イエスさまが悪霊の親分なら、そのようなことはしないはずです。それにファリサイ派の人たちの中には悪霊を追い出している人たちがいたようです。イエスさまはその人たちに「あなたたちは何の力で悪霊を追い出すのか」と問われました。ファリサイ派の仲間たちがベルゼブルの力で悪霊を追い出しているわけではないので、イエスさまの問いに彼らは黙るしかありませんでした。
イエスさまは大切なことを言われました。「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」と。神の国とは神さまのご支配のことです。イエスさまによって神の国はこの世界に来ていて、広げられているのです。
続けてイエスさまはご自身のことを家に押し入る強盗にたとえて話されました。まず、家の強い者を縛り上げてから家にあるものを奪い取ると言われました。家というのはわたしたちのことで、その家で、我が物顔で振舞っている「強い人」は悪霊のことです。イエスさまはまず悪霊を縛り上げてから家を奪い取り、ご自分のものとされます。つまり、イエスさまはわたしたちを悪霊の手から奪い取って、神さまのものとしてくださるのです。
最後にイエスさまは「ゆるされない罪がある」ということを教えられました。それは聖霊の導きを信じないことです。イエスさまはわたしたちのあらゆる罪をおゆるしくださいます。でも、聖霊の働きを認めず、聖霊によって悪霊を追い出していただくことを拒むことは赦されないとイエスさまは言われました。聖霊の力を受け入れなければ、悪霊に取りつかれたままです。そうなればそこに神さまの恵みもなく、罪の赦しもなく、救いがないことを意味するのです。
イエスさまはわたしたち人間を悪霊の支配から解放するためにこの世に来てくださいました。そして聖霊の力によって今もイエスさまは、わたしたちを支配しようする悪霊を追い出してくださいます。聖霊によってわたしたちの心にちゃんとイエスさまを信じる心を与えてくださいます。こうして礼拝に導いてくださり神さまのことを父と呼ぶことを教え、祈りをとりなしてくださいます。わたしたちは神さまの支配のもとで生きる者としてくださるのです。だからわたしたちは安心して歩んでいけるのです。
今週もイエスさまを信じて歩んでいきましょう。