マタイによる福音書8章23節
群衆がイエスさまを取り囲みました。そこでイエスさまは、弟子たちにガリラヤ湖の向こう岸に行くように命じられました。船にイエスさまと弟子たちが乗り込むと、暗くなり、風が吹き、波が立ち始めました。次第に風と波は激しくなり、波が船の中に流れ込み始めました。船は大揺れで、今にも沈みそうです。弟子たちは、必死になって船にしがみつきました。
この時、弟子たちは、イエスさまが船に乗っておられることを忘れてしまっていたのです。イエスさまが乗っておられることに気が付いた弟子たちは、イエスさまに近づいて、「助けてください。」と叫びました。すると、イエスさまは、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」と言われ、風と波を叱りつけると、風と波は静まり、凪になったのです。岸からこの様子を見ていた人たちは、「この人はいったいどういう人なのだ。」と口々に言いました。このイエスさまこそ、万物をつくった神さまの独り子なのです。
ここで、自分自身のことを考えてみましょう。私たちにも困難や試練が訪れることがあります。いやなことや悲しいことも経験します。子どもたちもたくさん集まると、けんかやたたき合いが起こり、泣き出す子が出てきます。いつも嫌なことをされると訴える子もいます。いつも注意を受ける子もいます。その子はもっと周りの人に甘えたいのでしょうか。自分の家でもいろんなことがあり、様々なことを感じながら生きているのでしょう。大人だって同じです。仕事や人間関係、介護、自分や家族の病気のことなどなど、日々様々な問題が起こります。途方に暮れてしまうことだってあります。そのように試練の只中にいる時、私たちもイエスさまの存在を忘れてしまっていることがあるのです。
船で寝ておられたイエスさまは、弟子たちに「信仰の薄い者たちよ。」と言われましたが、それは、私たち一人ひとりにも向けられた言葉です。でも、私たちには、薄くても信仰があるのです。成長の希望があるのです。イエスさまは、私たち一人一人の信仰が成長するように、導いてくださいます。私たちが、神さまやイエスさまに助けを求めても、すぐには叶わないかもしれません。しかし、「インマヌエル」。イエスさまは私たちのそばにいて、必ず守り抜いてくださいます。試練の中でも私たちが耐え忍ぶことができるように、「恐れることはない。」と言ってくださっているのです。
「この苦しみはいつまで続くのか。」そう思ってしまう時、イエスさまがそばにいてくださることを信じましょう。すると、薄かった信仰は次第に厚くなってきます。そして、年月が経ったときに、イエスさまがそばにいてずっと自分を支えてくださっていたことがわかる時が必ず来ます。イエスさまの祝福を信頼できるなら、私たちは安らかな人生を歩めるのです。