山上の説教(3)祈る時には

マタイによる福音書6章5~15節

 

 今日の箇所は、「だからこう祈りなさい。」と言われて、イエスさまが、弟子たちに祈りを教えられた内容で、

主の祈りと呼ばれて、私たちが、礼拝の度に祈りを合わせている大切な祈りです。今日の聖書の箇所全体で、祈りについてこうあるべきだイエスさまは教えられているのですが、その前半の部分に関係して、わたしが何度か気になっていることについてお話します。

 ルカによる福音書の17章11節以降に、イエスさまが重い皮膚病を患っている10人の人を癒した出来事が記されています。イエスさまがエルサレムに上っていく途中、サマリヤとガリラヤの間を通られました。その時、10人の人が、自分たちの生活圏のぎりぎりのところまで出てきて、声を張り上げました。「わたしたちを憐れんでください。」イエスさまは、その声に耳を傾けられ、「祭司のところに行って体を見せなさい。」と言われました。祭司というのは、皮膚病が治ったということを認める権限をもっていたようです。

 10人は、祭司のところに行く途中、清くされました。そして、自分が癒されたことを知ったその中の一人は、大声で神さまを賛美し、イエスさまのところに戻り、足元にひれ伏して感謝したと書かれています。すると、イエスさまはこう言われました。「他の9人はどこにいるのか。ほかに神を賛美するために戻ってきたものはいないのか。」

 私たちも重い皮膚病の人たちのように、心も体も赦された者の集いです。しかし、神さまを賛美することを本当に一番大事にしているでしょうか。私たちは、イエスさまに対して祈ります。「あれをしてください。これをしてください。」しかし、その前に、感謝や賛美の祈りを捧げること。そのことを忘れないようにしたいと思います。

 最後に讃美歌を紹介します。

のぞみも消えゆくまでに
世の嵐に悩むとき
かぞえてみよ 主の恵み
ながこころは安きをえん
かぞえよ主の恵み
かぞえよ主の恵み
かぞえよ ひとつずつ
かぞえてみよ主の恵み
「のぞみも消えゆくまでに」
聖歌604番 (新聖歌172番)