CS マタイ28:16~20
今朝は、イエスさまがお与えになると弟子たちに約束された、聖霊が本当に天から弟子たち一人一人に降った「聖霊降臨」を記念する礼拝ですが、今日の聖書のお話しは、聖霊降時の出来事が起こる五十日ほど前のことです。十字架の上でお亡くなりになられたイエスさまでしたが、復活されたのです。そのことを幾人かの婦人たちから聞いた弟子たちほガリラヤへ行き、イエスさまが指示された山に登ったのです。そこで十一人の弟子たちは甦られたイエスさまご自身とお会いしたのです。イエスさまが死んだことを悲しんでいたお弟子さんたちでしたが、イエスさまと再びお会いすることが出来とても嬉しく思ったことでしょう。弟子たちはイエスさまの前に「ひれ伏しました」。これほイエスさまを礼拝したということです。今朝、こうして私たちも教会に来て礼拝を捧げていますが、それはイエスさまの前に私たちもひれ伏して礼拝を捧げているということです。ところが聖書を見ると、イエスさまにひれ伏して礼拝をする弟子たちの中に「疑う者もいた」と書いてあります。甦られたイエスさまが目の前に立っておられるのに、なおイエスさまを疑う弟子たちがいたのです。ですからイエスさまのお姿を目で見ることの出来ない私たちはなおきら、イエスさまが甦られ、今も生きておられることを疑い信じることが出来ないのかもしれません。特に、今色々な心配があるとき、苦しいことや辛いことを経験して神さまに礼拝するとき、私たちもイエスさまがおられることを疑うのではないでしょうか。
でも聖書は、そういう私たちの目の前に事実、イエスさまが立っておられたと教えるのです。私たちがイエスさまのことを、神さまのことを疑おうと、イエスさまや神さまのお姿が見えなくとも、イエスさまはあの弟子達の前に現れたように私たちが捧げる礼拝の場に立っておられる。そして、疑い深い、信じることの出来ない私たちに、イエスさまの方から近づいて来られ、こう言われるゐです。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」。イエスさまは天の父なる神さまから天と地の一切の権能を授かっておられるというのです。神さまはイエスさまを通して天と私たちが生きるこの地上の一切を支配しておられるのです。その権能をイエスさまは神さまから与えられている。世界では今色々な問題が起こっています。戦争があり災害があり、多くの人々が苦しみ悲しんでいます。私たちの生活にも色々と心配なことがあります。でも今日の聖書を思い出して下さい。十字架の上で死んで神さまの元に繋がる道を開かれたイエスさまが甦って、弟子たちの前に立って下さいました。どんなに辛いことがあっても、苦しいことがあってもその道は天の父なる神さまの元に繋がっているのです。そして甦られたイエスさまがその道を一緒に歩んで下さるそういうお方としていつでも私たちの前に立っておられるのです。イエスさまこそ、「インマヌエル、神さまは私たちと共におられる」お方です。イエスさまを信じて生きるとき、私たちは希望を見いだすことが出来ます。感謝して自分に与えられた命を生きることが出来ます。そして必ず私たちは天の父なる神さまの元に帰ることが出来ます。こんなに確かで心強いことはありません。この喜びをあなたがたも出かけて行って、全ての人々に伝えなさい。「父、子、聖霊の名によって洗礼を授けなさい」とイエスさまはお命じになられているのです。これは教会の働きです。皆さんはイエスさまのことを知らせ、イエスさまがいつでも一緒におられることを伝えて、この教会学校にお友達やお家の人を連れてきたらいいのです。
そして最後にイエスさまはこう約束されました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。イエスさまは天にお帰りになられ、そのお姿が弟子たちの前から消え失せました。見えなくなりました。私たちにも見えないのは、本当にイエスさまは天にお帰りになったからです。でもイエスさまは今日、聖霊を天から私たちに送って下さいました。この聖霊を私たちは皆それぞれに頂いているのです。そして聖霊の力に助けられて、イエスさまが共におられることを信じて、天の神さまの元に繋がる道を最後まで歩むごとが出来るのです。イエスさまは聖霊を通して今日もう一度「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束しておられます。このイエスさまの約束を信じて今週も希望を持って歩んで参りたいと思います。