マタイによる福音書3章1~12節
ヨルダン川に沿った荒れ野にヨハネという男の人が現れました。ヨハネさんは、イエスさまより6か月早く生まれた人で、祭司のザカリアとエリザベトの息子でした。ユダヤの人々は、救い主が現れる前に預言者エリヤを神さまが遣わされると考えていたのです。ラクダの毛でできた服を着て、腰に皮の帯をしめたヨハネさんの姿は、預言者エリヤのようだったそうです。ヨハネさんは、旧約聖書で約束されていた神さまの救いの時が近づいたことをみんなに告げました。
「これまでの自己中心の罪の生き方を悔い改めなさい。心を神さまに向けなさい。天の国は近づいた。」と大声で叫びました。多くの人がヨハネの元に集まって、神さまに「罪をお許しください。」と謝り、ヨルダン川で洗礼を受けました。それで、ヨハネは、「洗礼者ヨハネ」と呼ばれるようになりました。ヨハネは神さまから遣わされた人でした。
洗礼を受けに来た人の中には、ファリサイ派とかサドカイ派と呼ばれる人たちがいました。ファリサイ派の人というのは、聖書を熱心に学び、サドカイ派の人たちは、神殿に仕える祭司でした。彼らは、自分たちは信仰の父アブラハムの子孫として、神さまから選ばれた民であると誇りに思っていました。さらには、彼らは、礼拝を欠かさずに捧げ、律法をきちんと守っていたので、自分たちの正しい行いに加えて、ヨハネから洗礼を受ければ、近づいてきている神の怒りから逃れられると考えていたのです。そんな彼らをヨハネは叱りつけました。聖書を熱心に学んで、神殿に仕え、礼拝を欠かさず守り、律法をきちんと守っていた人たちを𠮟りつけたのです。なぜでしょう。
ヨハネさんは、次のように言いました。
「自分は神さまに選ばれたアブラハムの子孫だと自分たちを偉いと思う者、または、自分はきちんと礼拝を捧げ、律法を守っているからとうぬぼれている者は、帰りなさい。神さまを愛しているというふりをしてもダメです。神さまは、心の内を全てご存知です。だから、本心から罪を悔い改めなさい。罪を告白し、わたしから水で洗礼を受け、神さまに立ち帰り、罪を罪を洗い清めていただきなさい。そうしなければ、私たちは皆裁かれて、滅びるのです。」
ヨハネは、そう叱ったのです。そして、次のように続けました。
「私は、あなた方を悔い改めのために導くために、水で洗礼を授けています。わたしの後に、約束差rていた救い主が来られます。わたしは、その方の履物をお脱がせする値打ちもありません。」
ヨハネは、自分は救い主のくつをお脱がせする奴隷のような値打ちもないと言うのです。ヨハネは、どんどん有名になっていき、人々への影響力が強くなったときにも、自分を差し置いて後に来る救い主を指さし続けたのです。
また、ヨハネは、こう言いました。
「このお方は、聖霊と火によって洗礼をお授けになります。お百姓が手にみ(ちりとり)を持って麦を持ち上げ、風が実ともみがらを分けるように、神さまを愛して罪を悔い改めた者とそうでない者を分けられます。救い主は、徹底的に私たちの罪を清めてくださり、聖霊によって新しい命を与えてくださいます。」と。
このようにヨハネは、旧約聖書で約束されていた「救い主イエスさま」の来られる準備を整え、主イエスさまをみんなに紹介する役目を果たしたのです。ヨハネは、「自分を誇らずに、イエスさまの方にまっすぐに向きなさい。」と呼び掛けました。ヨハネは、イエスさまによって実現する神さまの救いを一人でも多くの人々と共に分かち合いたいと願って、「悔い改めよ。天の国は近づいた。」と呼び掛けたのです。
何でもおできになる神さまが、わたしたちを罪から救うために遣わしてくださったイエスさまをキリストと信じて、天の国に向かって生きる。それがヨハネの言う悔い改めにふさわしい実を結ぶということです。
「主イエスは近い」という本には、次のようにあるそうです。「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」とは、「神に立ち帰ることが生きることの隅々にまで及んでいくということでしょう。神からの光が、心の中の最も暗い片隅にまで届くということでしょう。地上の生涯の全ての日々において、そのものが神への賛美になっていくということでしょう。」と。
救い主イエスさまに対して真っすぐに向き直ると言われても、私たちは、どちらに向き直ればよいのかさえ、自分ではわかりません。でも、神さまが自分に近づいてきてくださり、「わたしのもとに来なさい。」と呼び掛けてくださるので、神さまに向き直ることができます。先週は、たくさんのお友達と大人が教会に集い、イースター礼拝を守ることができました。本当に感謝でした。新しい年、またそれぞれにいろいろなことがあると思います。新学期、ちょっと不安な思いでいるお友達もいるかもしれません。でも、どんな時も復活のイエスさまが共にいてくださいます。みんなのことをいつも守り、導いてくださいます。そのことを信じ、歩みたいと思います。