ヨハネの手紙Ⅰ 3章11~17節
教会学校は、愛について学ぶ場所ですが、愛と言えば4つの種類があります。恋人同士の愛、友達を大事にする愛、血のつながりをもとにした家族の愛、そしてイエスさまによって示された愛。その4つです。
始めの3つの愛は、自分を受け入れてくれる人に対する愛ともいえます。自分に返ってくるものがあるはずです。しかし、自分本位になることもあり、独り占めしたくなったり、思い通りにならないと腹が立ったり、そういうことが人間同士の3つの愛には多々あります。創世記に登場するカインは、自分の捧げものよりも弟のアベルの捧げものを神さまが喜ばれたことに腹を立てました。そして、弟を憎み、殺してしまったのです。
一方、4つ目の愛、神さまの愛は、一方的と言えます。神さまは、私たち一人一人を一方的に愛してくださっているのです。神さまは、その独り子を私たちの世に遣わせてくださいました。イエスさまは、十字架にかかって私たちの罪を赦し、新しい命を与えてくださいました。そのように、神さまは、御子イエスさまを通して、私たちへの愛を示してくださったのです。
今日の聖書の箇所には、「わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。」と書かれています。しかし、私たちには、そのようなことができるのでしょうか。それはとても難しいことですし、できないことで自分を責めることにもつながってしまいます。自分は愛せていないと思ってしまうからです。ところが、ある牧師先生がこのような話をしています。「自分は愛せていないと思ってしまう。でも、それは、本当の愛を知ったから気が付くことである。」
真実の愛とは、イエスさまの愛のことです。私たちは、イエスさまを知ったから、自分は愛せていないことを知ることができるのです。自分自身の罪に気づき、新しい歩みを始めることができるのです。愛することのできない私をもイエスさまは愛してくださいます。イエスさまが死んでくださったのは、私たちの罪を赦すため。そのことを知ることで、どれだけ神さまが、そしてイエスさまが、私たちを愛してくださっているか、私たちは知ることができます。私たちは、教会に集うことで、毎週、その愛の深さについて教わっています。私たちが一緒に過ごしている人たちのために、私たちができること。それを今週も精一杯にしていきたいと思います。