ローマの信徒への手紙5章1~5節
この手紙を書いたパウロさんは、多くの苦難を経験しました。厄介なことがあり、様々な心配事がありました。
でもパウロさんは宣言します。「苦難をも誇りとします」と。どうして、そんなことが言えるのでしょう。パウロさんは苦難の中で、それを超える喜びを見つめていました。「希望は私たちをあざむくことがありません(5節)」とあるように、苦難の中でも絶対奪われることのない希望であり、苦難よりも先に与えられている希望です。
パウロさんは知っています。罪深い自分のためにイエスさまが苦しまれたこと。この私の罪のために十字架の上で忍耐し、この私の罪を赦すためこ十字架の上で死んでくださったこと。三日目によみがえられ、私と共に歩んでくださっていることを。
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む(3~4節)」この聖書の言葉は、希望を与えられた教会に連なる私たちの歩みそのものです。
「忍耐」とは、目の前が真っ暗になる、前に進めない厳しい状況のとき、私たちのために十字架の苦難を引き受けられたイエスさまを見つめ続けることです。
「練達」とは、イエスさまと共に歩むことのできる恵みを常に心に留めていくことです。
教会は、共に忍耐し、共に練達され続けながら歩みます。教会の交わりを支えるものは、イエスさまの苦難によって与えられた「神さまとの間にある平和」です。どんなときも、共にいてくださる神さまが、私たちを支えてくださっている、という{平和}です。
生きている問には、誰もが挫折を経験し、無力さを味わいます。悲しみが私たちを襲うこともあるでしょう。どんなに大変なことがあっても、「絶対に私を見捨てない方がおられる」「イエス様がいつもわたしと一緒にいてくださる」ということを知っているので、顔を上げて進んでいくことができるのです。
神さまに愛され、日々恵みをいただいて歩むキリスト者にとって、苦難も誇りとなり、喜びとなります。なぜなら、そこにも、私たちを愛する神さまの、恵みのご計画があるからです。
三浦綾子さんの著書「この痛をも賜(たまもの)として」より
「友人の招きで家庭集会に参加したとき、急に足が動かなくなった。友人の手を借りないと立てなくなった。私は体の中で何かが起き始めていると感じた。(これが今年の、神さまからのクリスマスプレゼントかもしれない)私にくださる神さまのたまものを、従順に受けとめる力が与えられますように、とひそかに祈った」
星野富弘さんの詩画集「あの時から空がかわった」より「ヨウナシ」
「あなたからの贈り物が 固くて不自由で 私には重すぎて
でもあなたが私を選んで 贈って下さった
今では私の人生を輝かせてくれる大切なもの やっとお礼がいえるようになりました この身体ありがとう」
三浦綾子さん、星野富弘さんの言葉のひとことひとことに心が震える思いです。
苦難の中にあっても、目の前のことに誠実に取り組み、「神さまの栄光を表す」という希望を抱き続け、イエスさまに支えられながら忍耐し、信仰の仲間と共に教会生活を続けていくことができるよう、祈り続けたいと思います。