ヨハネによる福音書3章16節
今日は、使徒信条の最後のところについてお話します。ここで言われている三つの大切な教えとは、「罪の赦し」と「からだのよみがえり」と「永遠の命」ですが、一つ目の罪の赦しについては、ヨハネによる福音書3章16節にある「独り子をお与えになったほどに世を愛された」のところの独り子のあと「の命」を入れると、とてもよくわかります。十字架にかかられたイエスさまを私たちが本当に受け入れた時、罪の赦しを経験し、実感することができるでしょう。イエスさまが十字架にかかられたとき、隣の十字架に同じように掛けられていた囚人の一人が言いました。「あなたがもし、神の国に行かれたら、どうかわたしを思い出してください。」その彼の告白はわたしたちの告白でもあります。その告白に対して、イエスさまは、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」と答えられました。「永遠の命を信ず」と告白しているわたしたちには、すでに教会において、永遠の命を与えていただいていると考えてよいでしょう。
わたしたちは、教会生活において、すでに三つのものをあたえられており、それが信仰の喜びです。わたしは、最近時々にタラントの話を思い出します。主人は僕たちにある者には10タラント、またある者には5タラント、そしてまたある者には1タラントのお金をわたしました。1タラントをわたされた僕は、そのお金を畑のすみに埋めてそのまま隠しておきました。主人が帰ってきたとき、そのお金を掘り出して返したのですが、主人から、「おまえは何もしなかったのか。」と叱られ、追い出されてしまいました。わたしは、神さまから自分に与えられた1タラントを周りの人のために使っているのかと反省することがあります。土の中に埋めてしまっているのは自分ではないかと思うのです。私たち一人ひとりには、神さまから与えられた役割があります。それを周りの人のために使い、神さまの恵みを広く人々に知っていただくように、神さまについて語っていくことが大切なことではないかと思います。