マルコによる福音書には、イエスさまが行った奇蹟が19回にわたって記されています。今回の奇蹟は嵐を鎮めたという話ですが、弟子たちは、イエスさまと一緒にガリラヤ湖の向こう岸に渡ろうとして、船に乗っていました。その時、激しい突風が吹きだし、弟子たちは何とかしないといけないと大慌てになりました。しかし、イエスさまは、船のともでぐっすりと眠っておられます。弟子たちは、「わたしたちが溺れてもかまわないのですか。」とイエスさまにまるで食って掛かるように言いました。その姿は、私たちに思ってもいなかったような苦難や困難に突然襲い掛かられた時の姿と似ています。弟子たちがイエスさまにすがった時に眠っておられたのと同じように、沈黙しておられる神さまに不信仰なつぶやきや嘆きを私たちもぶつけます。私たちは、慌てふためき、苦難から逃れられるように祈ります。しかし、神さまは、返事をしてくださるわけではありません。沈黙しておられます。そんな時、神さまは何もしてくれないと思い、私たちの信仰が不確かになります。どうしたらいいんだろうと迷います。それは、私たちの信仰が問われている時でもあるのです。
しかし、イエスさまは、立ち上がられました。イエスさまは、そんな弟子たちを憐れみ、起き上がってくださったのです。風を叱ると驚くことに風は静まり、凪となりました。権威ある神さまからの命令がきかれたのです。神さまの権威、神さまの力とは何でしょう。救い主であられるイエスさまの言葉は、神さまの言葉であり、私たちが見ることができないこと、信じることができないようなことが起こるのです。
イエスさまは、弟子たちにおっしゃいました。「まだ信じないのか。」と。全てを信じ、委ねることのできない弟子たち。その信仰の弱さには、私たちの姿が見えます。しかし、救い主は、今、ここにおられるのです。そのことを喜びなさいとイエスさまは、私たちに語り掛けてくださいます。み言葉を求めながら、歩みなさいと教えてくださるのです。