国と力と栄えとは

ユダの手紙24~25節
「主の祈り」について皆さんと学んできましたが、今朝ほ、最後の部分です。もう一度そこを読んでみましょう。

「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり」。「汝のものなればなり」という難しい言葉ですが、汝というのは神さまのことです。ですからこれは、「国と力と栄」とは限りなく神さまのものであるという意味です。「国」というのは、私たちが知っている日本とか、韓国とか、アメリカ、イギリスそのような目に見える国々のことでiまありません。「支配」という意味です。この世界を造られた神さまの御支配、そして神さまの「力」が及んでいる全世界のことです。神さまの支配・力が及んでいないところほありません。どんなに過酷な現実、場所、それから私たちが生活している環境ですね。そこには苦しいことや辛いこと、悲しいこと、病気の方も沢山おられる。先週、私の大学時代の友人のお母さんが突然具合が悪くなって亡くなってしまいました。そういう辛い思いをしている方が世の中は沢山おられるのです。でもそういう悲しみの中を生きる方々にも神さまの御手が及んでいる。伸びている。その神さまの御手は神さまの力です。今日の主の祈りに出てくる「力」というのは神さまの力のことです。大切な人を失い悲嘆に暮れるその人を助け、支え、生きる力を神さまはその人に手を差し伸べてお与えになる。そして「栄」というのは栄光という意味です。輝きのことです。クリスマスに、野原で羊の群れの番をしていた羊飼いの周りを「神さまの栄光」が照らしたと聖書にありますが、栄光というのは真づ暗闇の直中に光が照り輝いたという意味です。
 今、世界中くらいニュースばかりですね。戦争が続いています。地震などの災害も起こっています。恐ろしい犯罪や悲惨な事故も起こっています。本当に世の中は暗いですね。そしてその暗闇の直中におります私たちも中々希望が見えない。一晩中真っ暗な草原で羊の世話をしながら過ごさなければなちなかったあの羊飼いは、まさか自分たちがいるところに神さまがおられるとは思えなかったでしょう。でもその真っ暗闇の中にも神は生きておられる。羊飼いたちと共におられた。だから神さまの栄光が羊飼いたちの周りを照らしたのです。つまり、私たちを造られた神さまはどのようなときにも、私たちがどのような厳しい暗い現実の中を生きて行かねばならなくとも、私たちのすぐ側に神さまはおられる。そして私たちにお与えになられたその命と人生を生かし助け、共に歩んで下さる。実ほ、そういう私たちの目には見えない神さまの力、支配が私たちに及んでいるということなのです。
 主の祈りは、イエスさまが口伝えに教えて下さったお祈りです。そのイエスさまが「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり」と祈るように教えられました。御手を差し伸べられて私たちを助け、支えて下さる神さまが共におられる。だからそのお方を信じて祈りなさい。必ず神さまはあなたの祈りを聞いて下さり、生きる勇気と希望をお与えになられて一緒に歩んで下さる。だから祈ってご覧なさい。イエスさまはこの主の祈りによって教えておられるのです。祈れないことがあるかもしれません。でもそういうときに主の祈りをそのまま祈れば良いのです。イエスさまの教えて下さった通りに主の祈りを祈る、その折りを神さまは喜んで聞いて下さる。そのように神さまはイエスさまによって主の祈りを私たちにお与えになられて、いつでもどのようなときも私に祈ることをお許しになられているのです。