マタイによる福音書6章25~33節
今、私たちは「主の祈り」を学んでいますが、これはイエスさまが私たちに与えてくださった祈りで、すべての教会で祈られている大切なお祈りです。そして、この主の祈りは、わたしたちが感謝の気持ちをもって神さまに捧げるものであり、お祈りの原型です。なぜなら、この祈りは、神さまが与えてくださったものであり、神さまが最も喜んでくださるものだからです。
お祈りは、神さまの御名を賛美することから始まります。そして、御心を聞きます。これは、お祈りを通して、神さまの前に出るということを意味しています。神さまとわたしたちが向き合うのです。今日の「主の祈り」の個所は、「日ごとの糧を与えてください」というものですが、「わたしに」ではなく、「わたしたちに与えてください」と祈ります。神さまは、必要なもの、食べるものや着るもの、住む家など全てのものを与えてくださいます。また、体を養うものだけではありません。心の糧についても神さまは与えてくださいます。平和や安らぎ、奉仕、愛し合うことなど、人間の体を内から温め、勇気づけてくれる心の糧を、与えてくださいという祈りなのです。しかし、神さまは、それらのものがわたしたちに必要であることはすべてご存知ですから、それらのもの全てを神さまが備えてくださっているということをわたしたちが発見することが大切です。
また、日用の糧というのは、今日のためという意味があります。明日、何年先、老後のためにというものではありません。もしそうならば、それは、思い煩いにつながってしまいます。みんなが与えられていること、恵まれていることに感謝することが大切です。わたしは、体調の関係で、ご飯をゆっくりと食べなければなりません。しかし、昔からの習慣で、目の前のご飯を急いで食べてしまいそうになります。でも、食べる時も感謝しながら、味わいながら、食べなさい。そういう意味がこの祈りにはあると思います。
わたしたちは、神さまの恵みの中に生かされています。そして、祈りを通して、そのことを知ることができます。わたしたちは、神さまを信頼することによって生きることができるのです。日ごとの祈りの中で、神さまがそれらを備えてくださっていることに感謝しながら、生きることが大切であるということを、特に今日の聖書の個所から教わりたいと思います。