今、主の祈りを学んでいますが、私たちは、どんな時に神さまにお祈りをするでしょう。礼拝の中でも、いくつかの場面で私たちは祈りをささげます。礼拝以外では、食前の祈り、朝の祈り、一日の終わりの祈りなど、一人一人が、また家族と一緒に祈る場合もあるでしょう。
ところで、わたしたちは、どんな気持ちになった時に、祈ろうと思うのでしょうか。うれしいことがあった時には、「ありがとうございました」と祈ります。困ったことや苦しいことがあった時には、「一日も早く解決しますように」と、すがるような気持ちで祈ることもあります。教会ではみんなが祈りを合わせることもあります。例えば病気の方が「お元気になりますように」と祈り、それがかなえられた時、うれしく感謝の気持ちでいっぱいになります。本当に神さまがおられることを実感します。しかし、私たちの全ての祈りがかなえられるかと言えば、そうではありません。祈っても祈っても、願い通りにならないこともあるのです。そんな時には、本当に神さまがおられるのだろうかと、文句を言いたくなります。私たちは、このように自分の祈り(願い)ばかり祈っていることがあるのです。そんな時には神さまの御心がどこにあるのか考えられなくなってしまっています。
イエスさまは、主の祈りの中で、「御国を来たらせたまえ」と祈ることを教えてくださいました。本当に自分にとって必要で大切なことは、「神の国と神の義を求めなさい」ということであると、今日の聖書の個所は教えてくれます。神の義というのは、神さまの支配ということです。私たちの思いではなく、神の義を祈り求めなさいと聖書は言われます。私たちは人間の社会の中で、自分がどう思われ、どのように評価されているのかということが気になります。しかし、神さまは、ありのままの自分であることを認めてくださっているのです。いろいろな欲に惑わされず、神さまの導きを信じなさいと教えてくださいます。また、「明日のことまで思い悩むな。」と今日の聖書の個所にありますが、いろいろなことが心配になる時、まず、神の国(義)を求めなさいと言われます。今日このように聖日を迎えられました。しんどいことを乗り越えた方もいます。過去の試練を振り返った時、よくあの時にがんばれたなと思うこともあります。しかし、その試練を前もって知らされていたら、私たちは逃げ出したくなるはずです。無理かもしれないと思うこともありますが、何とか生き抜いて今があるのです。その背後では、いつでも神さまが導いてくださっているのです。
その日その日を生き、自分に与えられた仕事をする。役目を果たす。その日その日に与えられた責任を確実に果たすことは、神さまに喜んでいただける素晴らしいことです。祈りながら、一日一日を精一杯生きていけば、神さまは、そのご計画を示してくださることでしょう。そのことを主の祈りから学ぶことができました。感謝と希望をもって、今週も生きていきたいと思います。