御名をあがめさせたまえ

ヘブライ人への手紙13章12~16節

 わたしたちは今、主の祈りを学んでいますが、これは、イエスさまが教えてくれた祈りです。みなさんは、教会に来始めた頃、祈り方が分からなかったはずですね。いろいろな人から教わり、祈り方を覚えていったはずですが、もともとは、イエスさまが教えてくださったものだったのです。

 始まりは、「天にまします我らの父よ。(天にいるお父さん)」であり、その後に、「願わくは御名をあがめさせたまえ」と続きますが、実はこの言葉は、100年以上も前に日本語に翻訳された言葉なのです。今の言葉でいうと、「御名」というのは、「名前」のことで、「神さまの名前」ということになります。つまり、「神さまがあがめられますように」という意味になります。でも、「あがめられる」というのは、どういうことなのでしょう。

 ところで、神さまとはどういう人なのかということを子どもたちに尋ねたことを記したイギリスの本があります。その本によると、子どものイメージでは、神さまというのは、「あちこち歩きまわっていて、悪いことをした時にやめなさいと止めてくれる人」ということなのだそうです。確かにそうなのですが、実はそれだけではありません。実は神さまには、私たちの知らない一面があるのです。そのことを今日の聖書の個所は教えてくれます。

 天国には、お父さんである神さまとその方の子どもの神さま、そして聖なる霊の神さまがおられます。私たちが悪いことをしてしまった時に、私たちの代わりに謝ってくれるのが、神さまなのです。その役割をしてくれるのが、子どもの神さまです。お父さんである神さまに対して、子どもの神さまが、私たちの代わりに謝ってくれます。そして、代わりに怒られてくださるのです。子どもの神さまの名前は、イエスさまと言って、2000年前に十字架の上で、苦しみながら私たち人間の代わりに謝ってくださいました。それで、神さまは赦してくださいました。そして、神さまは約束をしてくれました。もう人間が悪いことをしても、怒らないと約束してくださったのです。そのことはエレミア書にも「あなたたちの罪はもう思い出さない。」と書かれてあります。

 イエスさまは、私たちの大きな罪、小さな罪、それらすべてを背負って謝ってくださいました。そのために、十字架の上で死んでしまわれましたが、お父さんである神さまは、「もう怒らないよ。」と約束してくださったのです。そこまでしてくださった神さまに、わたしは、「ありがとうございました。」と心から言いたいと思います。ところで、一度は死んでしまわれたイエスさまですが、神さまは、もう一度命を与えられました。だから、イエスさまは、生きておられるのです。私たちは、いつでもイエスさまに謝ることができるのです。「ありがとうございました。」とお礼を言うこともできるのです。では、どうやったら、お礼を言うことができるのでしょう。それが、今日の聖書の個所(ヘブライ人への手紙13章12~16節)が教えてくれます。一つには、「唇の実をささげましょう。」そして、「善い行いと施しをわすれないようにしましょう。」ということです。一つ目の唇の実をささげるというのは、お礼の祈りをしましょうということなのです。

 主の祈りにある「御名があがめられますように」というのは、「神さまにお礼のお祈りができますように」という意味があります。「本当の神さまに、みんながお礼を言うことができますように」という意味合いが含まれているということを今日の聖書の個所は、教えてくれるのですよ。