イエスさまは、ゲラサ人の住むところを訪れました。ゲラサ人とは、神さまとお関係が失われた人。その人がが住むところを訪れたのです。髪の毛はぼさぼさ。ひげは伸び放題。体中が傷だらけで、鎖や足枷も砕いてしまうというどうしようもない人が住んでいました。その人は、周りの人との科くぁりをや自由を求めていましたが、悪霊に縛られてしまいどうしようもない生活をしていました。そこにイエスさまが訪ねて来られたのです。この人の名前は、レギオン。かつては、一軍団5・6千人のローマ兵を束ねる指導者でした。その地位を奪われ、今は、大勢の悪霊に支配されているのです。彼は、夜も昼も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていました。彼は、イエスさまを通して、こんな自分の言葉に耳を傾けてくれる憐れみに接することができたのです。この人を支配していた悪霊たちは、豚に乗り移り、豚は湖になだれ込んで死んでしまいました。何が起こったかとその様子を見に来た人たちは、悪霊から取り払われたこの人の変わり様に驚きました。レギオンに取りつかれていたこの人は、服を着て、正気になっておとなしく座っていたのです。彼は、イエスさまの言葉に従い、イエスさまが自分にしてくださったことをデカポリス地方の人たちに言い広め始めたのです。
話は変わりますが、私は、乳児院に勤めたことがあります。乳児院とは、理由があって両親と一緒に住むことができなくなった3歳以下の子どもが生活する施設です。赤ちゃんは、自分の欲求をベッドをたたいたりすることで伝えることがありました。一対一で対応することが難しい環境の中で、その寂しさに耐え切れず、手足をかきむしるなどの自傷行為をする子もいました。周りの人に関わってもらいたいという欲求は、今日の聖書に出てきたゲラサの人に似ているように思います。わたしも、生活の中でどうしようもないことにぶつかり、胸が張り裂けそうになることもあります。そんな私たちの心を占領してしまう悪霊を、礼拝を通して、イエスさまが追い出してくださいます。そして、新しい気持ちで再出発できることがあるのです。私たちもゲラサの人と同じなのですね。