2022年8月28日

説教題 「生きることの意味」寺島謙牧師

ルカによる福音書16章19~31節

 金持ちとラザロという貧しい人の譬えである。金持ちは毎日贅沢に遊び暮らしていた。ラザロま金持ちの門前に横たわり、食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思いながら過ごしていた。やがてラザロは死に、金持ちも死んだ。金持は陰府で苛まれ苦しむのであるが、遙か彼方にラザロがアブラハムと共に宴席に着いているのが見えた。それで金持ちはアブラハムに叫んだ。「わたしを憐れんでください」と。だがアブラハムは金持ちに、お前ほ生きている間に良いものをもらったが、ラザロは悪いものをもらっていた。だから今は、お前は報いを受けるのだと答えた。さらに大きな淵があって、ここからお前達の方へ渡ることもこちらに来ることも出来ないと答えた。人は皆、天の父なる神によって創造され生かされている。地上における我々の歩みは神の御元に繋がっている。ラザロはただ神の憐れみによって生きた。だが金持ちは神の憐れみを忘れ、神を無視して生きた。そのために陰府で裁かれこ滅ぶ他なかった。この金持ちとは我々罪人のことである。だが神は、罪人を捜し求め、陰府から救うために、神の言葉である主イエスをお与えになられた。福音によってのみ、人さ赦され救われる。