説教(2025年3月月報より)

「心の貧しい人々は幸いである」

寺島謙牧師

マタイによる福音書5章1~3節 

 広く知られた「山上の説教」の最初です。これは弟子達、つまり,既に信仰を持っている者達に向けて語られた,主の戒めであり,人生の指針でありますが,主に従ってきた,多くの一般の群衆もまたこれに耳を傾けたのでありました。(7章28節,r群衆はその教えに非常に驚いた。」)主が弟子達を山上に伴って,大切な教えを説かれたこのことから,かつて旧約の預言者モーセが,イスラエルの民をエジプトから救出する途中で神からシナイ山上に導かれて「十戒」を与えられたことを想起させられます。この時,第一戒「わたしをおいてほかに神があってはならない」から第十戒「隣人のものを一切欲しがってはならない」まで続く十の戒めが神から与えられました。これは「私は主,あなたの神」(出エジプト記20草2節)という,厳かな権威ある神の御言葉に続いて語られたのです。旧約では神の戒めが,また新約では愛と赦しが与えられました。
 十戒と今朝のテーマとの関係を示すよい例が,19章16節から導かれます。金持ちの青年と主イエスとの対話です。永遠の命を得る道をイエスに問うた,真面目な富める青年に対し,主イエスは、まず神の戒め(十戒)を守れと語りますが,さらに持っもの全てを捨てて私に従えと促されます。十戒を全て守っていたこの青年も,これは出来なかった。しかし,これこそ私共の信仰の根幹に触れることであります。私共は本当に神にのみ頼っているのかどうかを問われているのです。本当に「心の貧しい人」とは,必ずしも貧乏な人を指しているのではありません。この世に頼るべきもの(富,社会的権威,名誉など)に全く頼ることなく,神にのみ頼って主に従って歩む人,こういう人こそ「心の貧しい人」なのです。このような人々は幸いである、と主はこの説教の冒頭で語られています。これは本当に心から,自分を創って下さった神に感謝し,その神を愛することであります。
 先月は牧師にとって葬儀に関わることの多い月でした。その度に感じさせられたのは,人間と人生の儚さであります。本当に,神の愛以外に頼るべきものはありません。そしてこれこそが,信仰の中心であります。主イエスほ,信じる者達に,この真実を改めて告げられたのです。
 神の愛について主イエスが語られた話に「放蕩息子のたとえ話」があります。身勝手な行動で家出して身を持ち崩した挙句に,父のもとに帰ってきた息子を,父(神の事です)は喜んで迎えます。この息子とは正に私共のことです。このことを知らせるためこ,主は山上の説教をなさったと思われます。福音の中心は「インマヌエル」(神はわれらと共に在す)です。今朝のテーマの原文の冒頭は,「幸いである」との断定です。救われた我々「心の貧しい人々」には,天国が約束されているのです。

  寺島謙牧師