「仕えるものになりなさい」
神さまに仕えるということはどんなことでしょう。自分を低くして、へりくだることです。神さまはモーセを遣わし、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を救い出してくださいました。そのあと、イエスさまが人間となってやって来られ、罪の奴隷であった私たちを救い出してくださいました。
弟子たちの足を洗う場面が聖書に出てきますが、イエスさまは、へりくだって、弟子たちに仕えてくださいました。イエスさまは、へりくだって、そして心貧しくなられて、こんな私たちに今も仕えてくださっているのです。私たちは、この方に倣って生きていきたいと思います。
ここで、本教会員のTさんが、昔書かれた教会便りの文章を引用します。
イエスさまがお求めになるもの。「自分自身をまず主に捧げた」(第二コリント8の5)
小さい女の子がいました。その子の親は大変お金持ちでした。けれども、その子は親と一緒に居ることがめったにありませんでした。いつも旅行ばかりしていたからです。
ある日。お母さんは自分の娘にとても美しい、そして随分値段の高い人形を旅先から送って起こしました。けれども、この女の子はその人形を見ようともせず、床に投げつけて壊してしまいました。そして泣きながら。「お母ちゃん。きれいなものを送るのはやめて。私、お母ちゃんが欲しいの。」と言いました。
イエスさまは、人がただ品物だけを差し上げてもお喜びになりません。ある人は時々教会に献金したり、また困っている人に物でもあげれば、それだけでイエスさまは喜んでくださるに違いないと思っています。しかし、イエスさまは私たちの心、私たちの愛、私たち自身を求めていらっしゃるのです。
一番最初のクリスチャンたちはとても貧乏だったのに、気の毒な人々にとても親切にしました。その訳が分かりますか?
聖書は、「その人たちは自分自身をまず主に捧げた」と書いています。どのようにして私たちは自分自身を主に捧げることができるでしょうか?それはイエスさまを自分の救い主と信じ、そのなさったお約束に固く頼り、いつも感謝の心を持ち、イエスさまのお導きに従ってイエスさまにつくものとなる。イエスさまとともに、またイエスさまのために生き、そしてイエスさまがみことばの中で語っていらっしゃることをよく聞くことによってできるのです。