説教題 「神の愛に生きる」寺島謙牧師
ローマの信徒への手紙8章31~39節
新しい年を迎えたが、私達が踏み出して行かねばならないのは未知の世界である。アブラハムが75歳の時、住み渡れた故郷を離れ旅立ったごとく、その行く手にいかなる出来事が待ち構えているか誰も知らない。だが、神の約束を信じたアブラハムの行く道が開かれていったように、我々を最後まで導くのは神である。この神について、使徒パウロはこう述べた。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです」。私達の神とは、その独り子をさえ惜しまずに、あの十字架の死に渡されてまでも赦して義とされる、愛と憐れみに満ちたお方なのである。義とされるとは完全に我々が神のものとされることである。この神の御支配から引き離すものは何もない。このように神は我々を愛し、共に歩まれる。