み言葉のそそぎ 説教題 「 行くべき道を示される、神」 寺島謙牧師
使徒言行録20章1~7節
エフェソの町全体を巻き込んだ騒動が収まると、パウロはかねてより計画していたエルサレム教会のために捧げられた献金を届けるために、まずマケドニア州へと出発することとした。その出発の前、パウロは弟子達を呼び集めて励ましたと書かれている。また2節には、パウロが「この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来た」とある。この「励ます」という言葉は、「説教」という意味である。パウロは人間的な優しさや情によって弟子達や諸教会の人々を慰めたのではない。そうではなくて説教を通して語られる聖書の言葉、すなわち神の言葉によって人々を慰め、励ましたというのである。人を本当こ慰め、励まし、そして確かな望みを与えて、命を生かすことが出来るのは、神の言葉であり、説教を通して我々に迫って来られる生ける神だけである。その独り子さえもお与えになられたほどに我々を愛して下さった神が、今日も御言葉によって、この私に語りかけて下さる。