今日のお話の中の大きなポイントは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」というイエスさまの御言葉です。
皇帝のものとは、皇帝の肖像(顔や体を表した絵)が刻まれたデナリオン銀貨のことです。皇帝のものを皇帝に返すとは、デナリオン銀貨を税金として皇帝に納めるということです。イエスさまの時代のローマ皇帝ティベリウスは人々に皇帝を拝ませるために。当時のデナリオン銀貨というお金に、自分の顔から胸の絵と母親の絵を刻みました。皇帝の力を表すお金を使わなければならなかったユダヤの人々は、このことを嫌だなと思いながらも、国に納める税金を払わなければなりませんでした。
今日の聖書に出てくる。ファリサイ派と呼ばれる人々は、ローマ帝国に税金を払うべきではないと考えていました。いやいや払ってはいるけれど、いつか救い主が来られたら、ローマに税金を払わなくてもいいようにしてもらえると思っていました。一方ヘロデ派と呼ばれる人々は、ローマ帝国に税金を払うことこそ、一番大切なイスラエルの人々の務めだと考えていました。このように、別々の考えを持つファリサイ派とヘロデ派の人々でしたが、どちらもイエスさまが人気者であることを悪く思っていて、イエスさまを邪魔だと思っていました。そこで、考え方の違うファリサイ派とヘロデ派の人たちは、一緒になってイエスさまを殺してしまおうと考え始めました。
どうしたかというと、イエスさまに「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているでしょうか。かなっていないでしょうか。」と質問しました。もし、イエスさまが「税金は納めなくていい」と答えれば、ローマ皇帝に逆らう人として、すぐに捕まえてもらうことができます。「税金は納めるべきだ」と答えれば、ユダヤの人たちからイエスさまは皇帝の味方なのかと思われてしまいます。イエスさまがどちらに答えても、イエスさまを陥れることができる質問でした。質問されたイエスさまは、「お金を見せなさい」とおっしゃいました。ファリサイ派の人たちはデナリオン銀貨を出してイエスさまに見せました。その銀貨にはローマ皇帝の顔が刻まれていました。イエスさまは、「皇帝のものは皇帝に、神さまのものは神さまに返しなさい」とおっしゃったのです。
イエスさまは、ローマの皇帝に税金を納めることを認めながら。神さまに作られた私たちは神さまのものであるから。皇帝を神として拝んではならないと答えられました。このイエスさまの答えを聞いてファリサイ派とヘロデはのの人々は何も言い返せずにその場を去っていったのでした。
「神さまに作られ、生かされている私たちは、その体も心もすべて神さまのものだから、神さまに捧げなさい」とイエスさまは言われます。神さま以外の物にお金や力や心を注いではいけませんと。
テキストでは、ハイデルベルグ信仰問答が紹介されています。今から460年前、ドイツの町ハイデルベルクで書かれ出版された信仰についての問いと答えです。「何が起きても変わらない私たちのただ一つの慰めは、私が私自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、私の真実が救い主イエスキリストのものであることです」と書かれています。「私たちはこの福音を信じて、神さまのものとされていることを喜んで、自分自身を神さまに委ねることができる」それが『神のものは神に返す生き方』ですとある牧師先生はおっしゃいます。
以前、婦人会修養会で日和佐教会の岡本先生がこんなお話をされました。「私たちは年老いていくと、いろいろなことができなくなっていく。あれもできなくなった、これもできなくなったと思います。けれども、私たちは神さまから命を与えられて、生かされ、神さまからいただいた賜物を用いていただいて、そして、それを一つずつ神さまにお返ししていくのです。そして最後に、命を神さまにお返しするのです」と、このようなお話をされたそうです。この言葉に、いつも励まされています。
神さまに創られ、命を与えられた私たちは、皆やがてすべてを神さまにお返しし、召されていきます。その召される時も、神さまが最も良い時を備えてくださいます。その時がくるまで、私たちは神さまから頂いた命、賜物を、神さまの栄光を現すために捧げていきたいと思います。人の目から見た評価にとらわれないで、どんなに小さな業で喜んで感謝して、神さまに捧げ、用いていただきたいと思います。
祈ります。今朝も聖書から神さまを信じて歩むことはどういうことか教えていただき感謝します。私たちは神さまのものとされ、生かされ、どのようなことがあっても神さまにお委ねすることができる恵みに感謝します。神さまから与えられた命を大切に、たとえ小さなことでも、喜んで感謝して神さまに捧げるものでありたいと願います。新しい週、子供たちも大人も、ひとりひとりの歩みを導いてください。アーメン。
