6月1日

「赦(ゆる)された者として生きる」
 寺島謙牧師
 マタイによる福音書5章21~26節

 主イエスは弟子達に話された。「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」。殺人はユダヤの律法によって厳しく裁かれることになっていた。だが主はさらに踏み込んで、兄弟に対して腹を立てる者について言及した。これは、決して腹を立てるなという奨めではない。隣人に対して腹を立てたまま過ごすのではなく、今すぐ「兄弟と仲直りをし」、「早く和解」するようにと命じられている。何故なら、我々キリスト者は既に和解の福音によって生きる者とされているからである。神に敵対し、背いた故に裁かれ滅ぼされる他なかった我々罪人に神は歩み寄り、主の十字架の恵みにより罪人を赦して和解へと導かれた。我々がこうして命を与えられて生かされているのは、神がその独り子をお与えになられたほどに愛して下さったからである。赦された者として生きることを、神は何よりも我々に求めておられる。