降誕節第7主日(2月7日)礼拝説教より
『福音の力』 寺島 謙牧師
使徒言行録に出てくる初代教会は,多くの迫害をうけました。その最初の殉教者となったステファノの事件をきっかけに,多くのキリスト者達はエルサレムを離れ,フェニキア,キプロス,アンティオキア(エルサレム北方,約500㎞にある大都市)などの地に散って行きました。これらの人々は,ユダヤ人以外には,誰にも福音を語りませんでした。しかし神は,この迫害をも用いて,その御言葉を拡げ給うたのです。アンティオキアの地にいたのは,大半が異邦人でしたが,その中に多くのユダヤ人がいました。ギリシャ語を話す人々もいました。彼らは,いわば当時の国際派とでもいうべき人々で,福音を聞いて,異邦人にもこれを伝えたいと考え,伝道をしていたと思われます。本日の聖書箇所の21節には,「主がこの人々を助けられたので」ど書かれています。先に学んだように,神はコルネリクスという異邦人信徒を用いて,異邦人伝道の端緒を開かれましたが,この地アンティオキアでも,さらに多くの人々が主イエスを倍じて神に立ち帰り,ここに最初の教会が生まれたのです。これは神の業でした。
このうわさを聞いたエルサレムの教会は,その事実を確かめるために,パルナバをそこに派遣しました。彼は信仰の厚い立派な人物で,神の恵みによって教会が実際に建てられて信仰者が多く与えられたことを知って,非常に喜びました。さらにパルナバはタルソヘ行ってサウロを見つけて連れ帰り,二人で丸一年間,アンチイオキアの教会に仕えました。この二人の出会いと働きは,教会の歴史上,重要なことであったと言われています。この教会で,主を信じる者が初めてキリスト者と呼ばれるようになったのです。
高知分区の芸西伝道所に,一昨年,会堂と牧師館が完成しました。ここは,教区の互助を受けている小さな教会で,信徒数は7名です。ここに,96歳になる久門芳さんという信徒が居られます。嫁ぎ先の姑さんが熱心なキリスト信徒でした。若い頃,芳さんの夫の転勤で,離れた地に赴任した際,この姑さんは,嫁の芳さんに,何度も,「教会に行くように。」という手紙を送り,それで教会に行き始めた芳さんに,その後は受洗を勧める手紙を書き送り続けたとのことです。芳さんは当時,十分に機は熟していませんでしたが,姑の言う事ではあるし,夫と相談の上,受洗を決めたのだそうです。しかし,それを機会に信仰が進み,今は信仰が唯一の慰めと安らぎになっている,と語っています。この教会では高齢者が多いのですが,皆喜んで教会生活を送って居られるそうです。
いずれは死を迎える我々に,神御自身が近づいて来られ,我々を生かし,一御自身のものとして下さるのです。これを心から信じるのがキリスト者です。キリスト者はキリストのものです。