2024年3月10日

説教題 「主の葬りのために」寺島謙牧師

ヨハネによる福音書12章1~8節

 

 ユダヤの過越祭の六日前のことである。主イエスはベタニアという村を訪ねられた。ベタニアには、ラザロと呼ばれる青年が主によって甦らせられた場所である。そのラザロの甦りを感謝して、主は弟子達と共に夕食に招かれた。姉のマルタはそのために忙しく給仕をしていた。ラザロ自身も主と共に食事の席に着いたのであるが、その時、妹のマリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を持ってきて、主の足に塗り自分の髪でその足を拭ったので家中が香油の香で一杯になった。すると、12弟子の一人で後に主を裏切るイスカリオテのユダが、香油を売った代金で貧しい人々に施さなかったのかと非難した。だが主は、「わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」とお話しになられ、マリアの奉仕をお喜びになられた。この主の言葉の主眼は、「わたしの葬りの日のために」にある。これはやがて成し遂げられる主の十字架の死を示している。マリアの奉仕は、一見すると高価な香油を無駄にする愚かな行為のように見える。だが実はそうではなかった。主の十字架の大いなる恵みに感謝し、それを証しする神への尊い奉仕に他ならなかった。主の十字架の死こそ、人間を罪と死から贖う神の大いなる救いの御業であった。