「福音の系図」
10月13日礼拝説教 寺島謙牧師
マタイによる福音書 1章1 ~17節
マタイによる福音書は、イエス・キリストの系図によって始まる。「系図」という言葉は「出来事」や「物語」と訳しても差し支えないが、マタイはキリストの誕生の出来事を敢えて、「系図」において表そうとした。そのマタイの意図は何であるのか,それは、イエス・キリストが「アブラハムの子ダビデの子」として誕生したことを明らかにしたいと考えたからである。アブラハムは神がお選びになった神の民イスラエルの礎となった人物である。だがアブラハムを含むその子孫達の人間像は決して明るくはなかった。特に系図に登場する4人の女性は皆、それぞれに暗い影を抱えていた。そしてダビデが部下のウリヤから奪い取った妻との間に生まれたソロモンによって、イスラエルの系図はさらに展開していく。つまり神の民の歴史は罪という深い闇に覆われていた。そしてアブラハムとは、神の前に全人類を代表する存在である。その人間が神の御心に従えない故に罪に支配され、罪を繰り返して歩む他なかった。だがその人間を神は救うために、罪無き独り子を人間として誕生させて、救いの御業を始められたことをこの系図は明らかにしている。