説教題 「主イエスにつながり実を結ぶ」亀田昭子先生
ヨハネによる福音書15章5~6節
ある高齢の女性を病院に訪ねた。長老にも同道を願った。長く長老も務めたことがある信仰生活の長い人であったが、礼拝出席も不可能になり、聖餐を携えて行ったのである。いよいよパンを配ろうとしたとき、ふと視力衰えた目を上げて問うた。「イエスさまは本当に体をもって甦られたのですね。マリアさんも会えたのですね」。「そうです」。「わたしは死んだらどうなりますか」。わたしは覚えているままにヨハネの手紙Ⅰ第3章2節を言って聞かせた。「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということは知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです」。一瞬の間があって、微笑して応えられた。「ありがたいことです」。聖書は率直である。死んだらどうなるか、詳しくはわからない。神が教えてくださっていないからである。従って牧師は天国や地獄の話をすることはない。天国に安楽に過ごせるからと言って慰めることはなし。しかし、私達は神を父と呼ぶ神の子、そうであれば、将来、み子イエスと似る者となることは確かである。既に似ているからである。(『み言葉の放つ光に生かされ(加藤常昭著)』より引用)