「わたしのトリセツ」
9月21日礼拝説教 服部修牧師
エレミヤ書1章4 ~8 節
*み言葉の放つ光に生かされて 加藤常昭氏著作より引用(本日の説教内容とは関係ありません。)
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイによる福音書第11章28~30節)。主が与えてくださる休み、それは重荷を取り去ってくださることではない。荷を軽くしてくださることである。くびきは追い続ける。だが、それは主イエスが与えてくださったくびきである。私に学べ、と言われる。学びはまねび、私たちは主の真似をして生きるように学ぶ。学ぶ者、それが弟子である。私たちは主の弟子になる。やれやれ、そのような重荷を負えるかな、という不安はない。背負えるかなと重荷に脅えることもない。重荷を負っているところ、そこで安らぎを得る。これが、わたしたちのために重荷を負ってくださっている主の招きであり、慰めなのである。