説教題 「礼拝する者を求められる神」寺島謙牧師
ヨハネによる福音書4章7~26節
シカルと呼ばれるサマリアの町にあるヤコブの井戸で主は一人のサマリアの女と出会われた。「水を飲ませてください」という主の言葉から会話が始まり、ご自分がお与えになる水は、決して渇くことのない永遠の命に至る水であることをお話になられた。女が「その水をください」と求めたので、主はあなたの夫をここに呼ぶようにと命じた。女は今一緒に暮らしている男は自分の夫ではないこと、それからこれまで五人も夫を変えたという暗い過去を明かした。そして女は礼拝について話しを始めた。人間は皆罪という闇を抱えている。そして罪は神によらなければ解決せず、神に礼拝を捧げる他に自分が救われる道はないことを女は知っていた。だが人間は罪故に神に真の礼拝を捧げることは出来ない。ここにこの女が抱えていた本当の苦しみがあった。しかし神は一人の罪人を目指して御自分の方から近づいて来られ、女の暗い過去も、そして罪をも引き受けられて、御自分に礼拝を捧げることの出来る者とされたのである。それが主イエス・キリストである。礼拝によって人は生ける神と出会い、赦された者として救われた道を歩むことが出来る。