説教題 「礼拝へと招かれる神」寺島謙牧師
創世記25章15~25節
イサクとその家族は大きな飢饉が起こったので、ゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクの所へ行った。主はゲラルに留まるなら、必ず共にいて祝福を与えこの地を子孫に与えるとイサクに約束された。その通りイサクとその家族の生活は祝福され豊かにされた。だがこのことがペリシテ人の妬みを買い、父アブラハムがかつて僕達に掘らせた井戸がことごとく埋められてしまった。アビメレク王からも出て行くように命じられたイサクは、ゲラルの谷に天幕を張って住んだこ ここにもアブラハムの時代に掘られた井戸が幾つかあったがペリシテ人によって塞がれていた。その井戸を掘り直しながらイサクは過ごした。だがその生活は困難を極めた。井戸を巡りゲラルの羊飼い達との争いが絶えなかった。それでイサクは井戸を探しながら土地を移動せざるを得なかった。だがイサクは忍耐して試練の時を歩んだ。そして遂にぺ工ル・シェバに至った時、主と出会った。主はイサクと共に試練の道を歩まれ、彼を守り導かれた。この主こそ、人間が真の礼拝を捧げねばならない造り主なる神なのである。