6月22日

「信仰と不信仰」
 磯村滋宏役員
 マルコによる福音書 9章14~27節 

「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」(Ⅰコリント15:2)。伝道者のひとりとして心打たれる聖句である。パウロも説教者であった。福音を語り続けた。その自分の言葉を覚えていてくれればよいと言い切る。コリントで過ごした日々、ひたすら語り続けた自分の福音の言葉については確信があった。これを聴いた人々、教会員となった人々は、死ぬまでそれを覚えていてくれればよい。そうすれば救いは確かである。さもないと、もし忘れたり、言葉を歪めたりしたら、あなたがたの信仰が無意味になる。そのとき、自分の説教を聴いてくれた人々は救いを失う。滅びを招くのである。説教を語る者の務めの重さを思わせるが、これはまた説教を聴く者の心の姿勢を正させるものである。福音を語り、聴くとき、その救いが、そのいのちがかかっている。忘れてはならない言葉を語り、聴くのである。説教を覚えておくということは、かけがえのない大切なことなのである。

(「み言葉の放つ光に生かされて」加藤常昭著より引用)*本日の説教とは関係ありません。