「αであり、Ωである ー主の再臨ー」

ヨハネによる黙示録22章12~21節

 ヨハネの黙示録は旧約新約合わせた聖書全体の最後にあります。聖書66巻の最初は旧約聖書の創世記です。これは神さまが創られた世界の始まりが書かれています。聖書は世界の始まりから終わりまでを書かれていますから、このヨハネの黙示録は世界の終わりが書かれていることになります。

 世界の終わりというと怖くて不安に思うかもしれません。世界で戦争や争いが大きくなり、大きな地震や、大きな災害に襲われることが多くなり、世も末だ、終わりが近づいたと思わされる今日なので、余計にこれから先がどうなるのか心配になります。しかし恐れることはないのです。「ノストラダムスの大予言」のように人類の滅亡を聖書は示しているのではないのです。もちろん、造られたこの世界の終わりではありますが、聖書がわたしたちに伝えている大切なことは、世の終わりにイエスさまが再び来られることが約束されていますよ、ということです。これを「再臨」と言います。再臨の日がいつ来るのか誰にもわかりません。神さまだけがご存じなのです。

 ヨハネが見た幻、黙示録でイエスさまは言われました。
「見よ、わたしはすぐに来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして最後の者。初めであり終わりである。」と。

 アルファとはギリシア語のアルファベットの最初の文字、オメガは最後の文字です。イエスさまは神さまと一緒にこの世のはじめから終わりまでおられるお方なのです。イエスさまがすべてのはじめであり、すべてを終わらせる方だということです。ですからイエスさまにすべてのことをゆだねて安心して生きることができるのです。

 再臨の日、イエスさまは再びこの世界に来られ、この世界を裁かれます。これを「最後の審判」と言います。裁きを受けるといっても恐れることはありません。イエスさまはわたしたちの罪を赦すために、わたしたちの身代わりとなって十字架にかかって死なれ、神さまによって復活されました。このイエスさまを救い主として信じる者は、イエスさまに清められて、新しく下りてくるという世界に入ることができると約束されているからです。再臨の日(終わりの日)はイエスさまを信じる者にとって、神さまが救いを完成させてくださる喜びの日なのです。

 黙示録の内容はわたしたちの教会に告げ知らせたものであるとイエスさまは言われます。イエスさまが「わたしはすぐに来る」と言われた言葉に、わたしたちは「主よ、来てください(マラナ・タ)」と応えて祈るのです。「イエスさま、来てください」という言葉はキリスト者がいつも口にする言葉となったのです。教会ではこの二千年の間、「マラナ・タ」と祈り讃美歌を歌い、イエスさまの再臨を楽しみに待っているのです。

 今、この世界でわたしたちは与えられた命を懸命に生きています。四月から新しい環境の中で過ごしている人も多いでしょう。日々順調に進んでいる人もいれば、うまくいかないで悩んだり、つらい気持ちを抱えて過ごしたりする人もいるでしょう。そのようなわたしたちが生きているとき、死ぬとき、そして死んでから後も変わらずイエスさまがともにいて、すべて知って支え続けてくださっています。このことを信じ、救いの完成のときである世の終わりを待ち望みながら、生きていくことのできるこの喜び、希望を礼拝で繰り返し与えられています。今日もこれからもイエスさまに励まされながら世の終わりを心に留めて、神さまを見上げて歩み通せますようにと、祈りたいと思います。