説教題 「キリストが建てられる神の神殿」寺島謙牧師
ヨハネによる福音書 2章13~22節
ユダヤ人の過越祭が近づいたので、エルサレムの神殿は世界中から集った人々で混雑していた。主イエスも過越を祝うために神殿に上って行かれた。そして境内で牛や羊や鳩を売る者達や、座って両替をする者達をご覧になられると縄で鞭を作って境内から追い出された。この様子を間近で見ていた弟子達は、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という詩編の青葉(69:10)を思い出した。これは、宮清めが主御自身の激しい熱意による行為であり、その結果、主自らを食い尽くす(十字架の死)結果を招くという預言に他ならなかった。すると主が御自分の命を賭けて行われた宮清めの目的は何であったかというと、真の礼拝が捧げられる場所を全ての人々に用意するためであった。主は「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言われたが、これは、十字架の死より甦られたキリストの復活の御体こそ神を礼拝する真の神殿(教会)であることを表している。このように神は御自分の手で教会をお建てになり、我々を招いて礼拝を捧げることをお許しになられているのである。