2022年4月10日

み言葉のそそぎ 説教題独り子をお見捨てになった神」 寺島謙牧師

マルコによる福音書15章33~41節

 

 主イエス・キリストがいよいよ十字架の上で死なれる場面である。昼の12時になると全地が暗くなり、それが3時まで続いた後に主は突然大声で、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。この言葉は、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味であるが、これは詩編22編にある祈りの言葉である。つまり主は、3時間の間、ただ沈黙していたのではない。十字架という激しい苦しみの中で詩編によって神に祈り続けていたのである。そして遂に神の御心を主は悟り、そのために御自分が十字架の上で死ぬことを受け入れられたのである。主が十字架の上で息を引き取られた時、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたのは、神と人とを隔てていた罪という壁が取り除かれたことを表している。主の十字架の死によって、神と人間との間で断絶していた絆が回復され、人は神と結ばれて生きる者とされた。そして我々もまた、「わが神、わが神」と祈ることを許されたのである。